4月10日タイのタクシン派と治安部隊との衝突の騒乱を取材していたロイター通信日本支局の村本カメラマンが射撃されて死亡した。なんということだろう。

 タイは仏教国だが、かつて1976年から1991年までの軍事政権時代の最後に学生運動のデモ隊が軍隊による鎮圧で何人も死んでいる。軍事政権はそれでつぶれたが。過去にはそういう軍事的な弾圧があったが、その後は政治対立にも力の衝突はなかった。そして政治的な争いには最後の調停役として、プミポン国王の存在が大きかった。だからメディア関係者もまさかという気持ちがあったのだろう。日本人の多くがショックを受けていると思う。

 ところがかつての政治争いは伝統的な支配政治家層の中の争いだったが今ははっきりと位相が違うのだ。

 タイはバンコクは首都圏として繁栄し南部はプーケットなどリゾート観光地として富んでいる。しかし、北部は格差が大きく、中でも東北部農村地帯は貧困の中にある。

 タクシン元首相は客家系の華人でありチエンマイの名家、チナワット家出身で確かに伝統的支配層に属する。しかし、新興企業家として成功し、国民民衆にたいして開発事業による利益の約束や福祉政策、貧困層の救済で人口の6割の大きさを占める北部、東北部農民層の支持を集め2006年首相となった。そして北部に対する再配分政策を行った。それが伝統的な財界政治家層と対立する原因となった。アジアの経済成長のなかで貧困層など庶民が政治的な集団として登場したのだ。

 まず政府大臣には大企業の株主はなれないという法律により首相就任前に株式を売り払っていた。このとき節税策で税金があまりに少額で脱税行為ととがめられた。バンコクの辞任要求デモでいったん国王に申し出て辞任した。しかし院政をしていた。それが問題となり伝統的支配層による反発により、国王の最側近のプレム・ティンスラーノン(元首相、元陸軍司令官 1920年生まれ)枢密院議長による示唆で軍事クーデターが起こされイギリス亡命となった。国王は暫定的な軍事政権を認め次に反タクシン派の首相をつけた。この時点で国王側は反タクシン派の核となっていることを見せつけたのだ。

 その後2007から2008年にかけて下院上院選挙が行われたがやはりタクシン派が勝利し2008年1月、タクシン系のサマックが首相に就任。サマック首相はテレビ出演を巡るスキャンダルが取りだたされ辞任。そして10月にタクシン元首相の義弟ソムチャーイが首相に就任したが、またもや憲法裁判所が選挙違反を理由に与党人民の力党の解党を命じ、ソムチャーイまで失職した。
 そしてまたもプレム枢密院議長の先導で12月反タクシン派の民主党のアピシットが首相となった。

 選挙をすれば東北部農民人口6割を押さえるタクシン派が勝つが、伝統政治家国王財界軍含めた旧支配層が失脚させ強引に反タクシン派の政権を作る。その繰り返しとなり、街頭でのデモと治安部隊との直接的な対立となる。これで安定したタイの社会と政治などは霧のかなたに消えいつまでもいつまでも争乱と血の弾圧と反撃・戦闘が続くことになる。

 その果てで村本カメラマンが射撃で亡くなったのだ。私はタイに親近感を持つ。小乗仏教が深く社会に生きているタイが好きだった。

 やはり社会が古すぎ旧支配層と経済成長での新しい政治集団が対立しかできない。日本が戦後したように農村にも社会政策と利益を配分する国民和解政党と和解政府ができない限りこれは続くと思う。

 もしかするとまたもや軍事クーデターによる軍事政権か。そうなると今度はかなり長期によるものになるかもわからない。
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【2010/04/14 15:45】 | 政治・経済
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