空中描写ではリアル間と広がり、飛行機の空中戦では現実とアニメの中間的な味わいがあり、今のところ世界一ではないだろうか。感心した。
ただし、アニメとしての基準ではどうかというご意見はあるだろう。一つの技術の方向として認めるべきだと思うが。
戦争請負企業がすべてを委託され、企業同士が戦争して社として戦争する。国の名前はもはやニュースにも出てこない。これは異様さをとても感じる。
戦闘の中心は、古めかしい単発プロペラ機での機関銃による撃ち合い。大型戦闘爆撃機も出てくる。第二次世界大戦に戻ったような印象を受ける。
そして、空軍兵士が問題で、「キルドレ」というバイオ技術で作られた子供のまま成長せず死なない人間が戦うのだ。しかも死んでも記憶を入れ替えて再生し戦闘能力を活用する。
若手の伊藤ちひろが脚本を担当しているが、気になるセリフ。
「実際に戦って殺し合いニュースで流さないと人々が満足しないから戦争をしている」と究極の人間不信と民衆が戦争を起こす原因だなどという。
何しろ長いシリーズ原作で脚本はあちこちからピックアップしているのだが、今のところ全部読んでないが原作にも出てこないのでは。
世界設定やテーマとも関わる。解明が必要だ。
世界に戦争がないと人が満足しないだって。
戦争というのは政治の延長なのだ。1832年に『戦争論』でクラウゼビィッツが喝破しているじゃないか。財界や政治家など上部機構の支配者に戦争をやりたいやつがいるから戦争は起こされる。幼稚なことを言うんじゃないよ。
日本でも江戸時代1638年の島原の乱以後1863年長州藩による外国船砲撃まで225年間戦は起こっていない。民衆は戦争を欲していないのだ。
もっと古い話だが、縄文時代の1万年もだ。中国から移民してきた戦国時代(中国)の人たちが戦争を教えた。
これがなければまともに戦争を見据えた映画なのに。
どうも、押井守がそういう考えでらしい。
押井守が、ベネチア映画祭での海外での反応と印象を語る。
『スカイ・クロラ』の記者会見では、押井の戦争観、社会観への質問が相次いだ(関連記事)が、海外プレスとの個別インタビューでは、その傾向がさらに顕著に出たようだ。
「80パーセント以上は、戦争の話。スイトが言うように『戦争は永遠になくならない』という僕の世界観に対して、社会学的な質問がくる。キルドレって大人にならない子どもたちのことよりも、全体の世界観への質問が多い」
海外プレスの反応は、日本ではなかなか触れられることのない、押井の奥深い哲学をくすぐったようだ。
ヴェネチア記者会見は重厚な質問続出
「日本では戦後60年にわたる平和が、人間の進化を麻ひさせているということなのか」との質問に、押井監督は「戦争の時代は“大人の時代”、冷戦のように戦争の形が限定された時代が“子どもの時代”だと思っている。『スカイ・クロラ』で描いた世界は日本だけのことではなく、先進国なら同じ現象が起きていると思う」と説いた。
「人間にはいつの時代も衝突が必要」という作品全体のメッセージを指摘する声には、「人間が人間である限り、戦争はなくならないと思うし、あり方が変わるだけ。人間が1度でも“平和”を実現したことがあるか? 僕は、そこから世界を考える」と国際舞台でも変わらぬポリシーを披露した。
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