足利事件で、えん罪が判明した管家利和さんが、釈放されて初めてのインタビューに答えた。これは、末尾に掲載するが具体的な逮捕や取り調べ内容がわかった。

 足利事件と他の女児殺害事件をまとめる。
 足利市の栃木県境で女児が殺害されたという足利事件だが、これは同じ足利市内でほかに2件。県境を越えた群馬県尾島町でも一人が殺害されている。また群馬では桐生市でも1人殺害、太田市でも1人行方不明のままである。これは、栃木・群馬県足利市周辺連続女児殺害事件なのだ。しかも管家さんをえん罪に仕立てることばかりかまけていずれも未解決のままとなっている。

足利市内の残り2件も管家さんは自供させられているが物証がないと不起訴処分とされたが、実は一件に完全なアリバイがあるのだ。
 これは、その内の79年8月3日の事件ではB女児が行方がわからなくなった時刻についてだ。昼休みの正午から午後1時以外は勤務していて目撃者も多数いる。(「足利事件の菅家利和さんは無実です」足利事件年表HPから)

1979年8月3日午後2時過ぎ、付近の食堂の店員Nさんが、Bちゃんが同い年くらいの男の子と渡良瀬川の方へ向かって走り去って行くのを目撃。Nさんはすぐに警察へ連絡して、調書も作成された(これが行方不明になったBちゃんの、最後の目撃情報)。



 それで、県警側はどうしたか。

菅家さんが自供した直後、刑事がNさんを勤務先に訪問。菅家さんの自供と矛盾するNさんの証言を、考え直すよう説得され、後日足利警察署に出頭するよう言われる。そして菅家さんの自供と矛盾する12年前のNさんの調書の内容変更を要求される。そして、あろうことか目の前で警察官による調書改竄、捏造が行われた後、その捏造調書に捺印を要求され、しかたなく捺印。後日検事にも呼び出され、同様に捏造した調書に捺印させられる。

と目撃者の調書を改ざんしたのだ。それで不起訴処分にしたのだと思う。公判で調べ始められると調書偽造が分かり本件まで無罪となるからだと思われる。

 群馬県内の事件はいずれも群馬県警は管家さん取り調べへの捜査協力依頼を出さなかったようだ。筋の悪いえん罪だとわかったのではないか。

 とにかく、この足利事件の時これをモデルにアピールして科警研DNA鑑定導入が図られ、予算が付いたのだ。管家さんのDNA鑑定は間違ったのではない。無理に犯人に仕立て上げたのだ。管家和利さんは生けにえにされたのだ。どのように導入が事件の中で進んだのか表で示す。
足利事件の菅家利和さんは無実ですHP「足利事件年表」から。特定の言葉を「体液」に変更。

足利事件年表(DNA鑑定導入関連のみ着色)

月日

内容

1990年5月12日夕方7時頃、足利市内のパチンコ店から4才の保育園児Mちゃん行方不明となる。 
 5月13日渡良瀬川河川敷でMちゃんの遺体発見。ごく微量の体液の付着したMちゃんの半袖 下着、同川の水中で、泥だらけの状態で発見。同日夜、県警科学捜査研究所、Mちゃんの半袖下着に付着した体液斑を血液型鑑定し、B型と特定。
 10月科学警察研究所(科警研)がDNA鑑定を実用化へ
 11月末 聞き込み捜査により幼稚園バス運転手菅家利和さんマ-クされ、寺崎巡査部長、菅家さんの借家を訪問。捜査令状無しで室内を調査。勤務先へも刑事が聞き込み。以後彼のみが徹底的なマ-クを受け、逮捕まで約1年間も尾行され続ける。 
1991年3月勤務先への刑事の聞き込みが原因で解雇され、以後失業。 
 5月22日警察庁がDNA鑑定導入決定。 
 6月23日尾行中の刑事、菅家さんの捨てたゴミ袋を無断で押収。中に入っていた使用済みティッシュを押収。 
 8月21日科警研に半袖下着とティッシュをDNA鑑定依頼。 
 8月28日警察庁がDNA鑑定機器費用概算要求(1億1600万円) 
 11月25日DNA鑑定報告。一致との結果。(約2ケ月以上遅れて報告。意図的。) 
 12月1日早朝、警察は菅家さんを逮捕状もなく、足利警察署へ連行。同日夜中まで取り調べ。 
  夜半、自白。 
 12月2日未明、自供によりMちゃん殺害容疑で菅家さんを逮捕。 
 12月4日橋本警部、寺崎巡査部長、茂串清、手塚一郎警部補、福島康敏県警技官ら本 件捜査担当者8人を表彰。 
 12月5日科警研に菅家さんの血液の鑑定依頼。 
 12月13日渡良瀬川河川敷などを現場検証。 
 同日菅家さんの血液のDNA鑑定報告。 
 12月21日Mちゃん事件で菅家さんを起訴。 
 同日菅家さん、Bちゃん・Cちゃん事件も自供
 12月24日Bちゃん殺害容疑で菅家さんを再逮捕。
(ブログ注:23日拘留期限日)
 12月26日DNA鑑定機器予算が、大蔵省復活折衝で認可。 
1992年1月11日Bちゃん事件で現場検証。 
 1月15日Bちゃん殺害事件の捜査終了。起訴処分保留。

 

 

 

「刑事の声怖かった」 菅家さんインタビュー
2009年6月10日 10時45分 東京新聞

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/
2009061090104550.html?ref=rank


 足利事件の再審請求で、17年半ぶりに釈放された菅家利和さん(62)が9日、本紙のインタビューに応じ、栃木県警の取り調べに対し、虚偽の「自白」をした経緯を振り返った。髪の毛を引っ張るなど暴力的な調べから自白に追い込まれたが、「やりました」と言った以上、説明しなければならないと考え、架空のストーリーを供述したという。

 【栃木県警は事件から1年以上、菅家さんを尾行。DNA型鑑定した体液の型が一致したとして91年12月、逮捕した】

 朝7時ごろ起きると、玄関をどんどんたたく音がする。「警察だ。菅家いるか!」って。ドアを開けたとたん、6人のうち3人がなだれ込んできた。「おまえ、子ども殺したな」と言われ、「殺してなんていませんよ」と否定すると、座った姿勢でひじ鉄を食らわされ、後ろにどーんと倒れた。むかつきましたよ、いきなり何をするんだって。

 【その日は日曜で、結婚式に出る予定だった】

 「そんなもん、どうでもいい」と怒鳴られた。警察署に連れて行かれて「子どもを殺しただろう」「やっていない」と押し問答を繰り返した。昼をはさんで午後も同じ繰り返し。夕飯後、また繰り返す。どうしても聞き入れてくれない。頭の毛を引っ張られ、け飛ばされた。それぞれ1回。

 【夜中になり、菅家さんは「やりました」と“自白”する。刑事のひざが涙でぐっしょり濡(ぬ)れた】

 とにかく怒鳴られて怖かった。イライラして、もうどうでもいいやという気持ちになった。早く楽になりたかった。刑務所とか死刑とか、家族のことも全然頭に上らなかった。なぜそんな心境になったか分からないけど、刑事の手を握り締めた。涙が止まらなかったのは悔しかったから。認めたら、刑事の態度が穏やかになってほっとした。

 【犯人にしか分からない犯行の詳細や遺体の遺棄場所などをどうやって供述したのか】

 現場検証のとき、遺体を捨てた場所が分からない。「ここです」とでたらめを言うと、警察は「違う、もう少し先だ」と言う。「そうかもしれない」と話を合わせた。合掌して、心の中で殺された女の子に「おじさんはやってないよ」と念じた。

 やりましたと言った以上、どう説明しようかと考え続けた。一生懸命想像して話を作った。ムラムラとして恥ずかしいことを夢想した後、女の子の首を絞めたことにした。女の子が裸だったことも、警察で「これが別に捨ててあった衣類だ」と見せられて初めて知った。それも、後から付け加えて供述した。

 【別の女児殺害事件2件(栃木県警が再逮捕後にいずれも不起訴)についても“自白”した。このうち、1件は被害者の遺体がリュックに入れられていた】

 警察から聞いて、リュックをごみ箱から拾った話を作った。そうしないと、取り調べに答えられない。1日中調べられるから苦しくて、何でもいいから早く終わらせたくて。自分の性格は、小さいときからおとなしくて、反論ができない。人さまに「そうだろう」と言われると「はい、そうです」と言ってしまう。

 【菅家さんは裁判が始まってから、犯行を否認したり、また認めたりすることを繰り返した。これも不自然だとされた】

 やっていないと言いたかったけど、刑事が傍聴していると思うと怖くて。(第6回公判で)否認したのは、その日は傍聴席に刑事がいない気がしたから。でも、その後また「どうせ聞いてもらえない」とあきらめて、認めてしまったりした。論告求刑で検察官が「極刑にしてほしい」という女の子の両親の言葉を読んだ。初めて死刑になる可能性に気付いて、「とんでもない」と思った。

 【求刑公判の後、見知らぬ人から手紙が来た】

 その人は支援者で、1カ月後に面会に来た。私のことを「信じる」と言ってくれたんですよ。家族も言わなかったのに…。それで強くなれた。やっていないと言おう、と思えた。

 【刑務所生活は過酷を極めた。それでも菅家さんは弁護士に「不自由はない」と話していた】

 6人部屋に入ったら、同じ房に悪いやつがいて「1週間で全部覚えろ」と言う。布団のたたみ方やトイレ掃除、食器の洗い方…。うまくできず、殴られて肋骨(ろっこつ)が折れた。水を張った洗面器に顔を漬けられ、殺されると思った。急所をけられ、他人の小便や大便を食えとも言われた。医務室の先生に「やられたか」と聞かれたけど、最初は「何もされてません」と答えた。弁護士の先生には言わなかった。言ったら、殺されてしまうと思ったから。

 【獄中の17年半を経て、これからやりたいこと】

 私が捕まったショックで父親は死んでしまったし、母親も2年前に亡くなってしまった。逮捕されるまで、交通違反も含め、一度も警察の世話になったことはない。警察は市民の味方だとずっと思っていた。

 今までの人生は返ってこないけど、これからは冤罪で困っている人たちを支援したい。自分も支援してくれる人たちがいたから、ここまでやってこられた。取り調べの録音・録画があれば、今回のようなことは起きなかったと思う。DNA型鑑定も、逮捕の時だけ使うのではなく、冤罪だと主張する人に再鑑定する制度を法律でつくってほしい。

 菅家さんは現在、住まいが決まっておらず、一時的に足利事件弁護団の主任弁護人、佐藤博史弁護士の自宅に滞在している。最近はレンタルビデオ店に行き、大好きな寅(とら)さんが出ている「男はつらいよ」と、時代劇「必殺仕事人」を借りた。佐藤弁護士と本屋に行った時は、レジで店員から「菅家さんですね、おめでとうございます!」と握手を求められたという。

 今回の再鑑定で否定されたDNA型鑑定が証拠になっていることを菅家さんが知ったのは、裁判が始まってから。「取り調べで、DNA型鑑定の決定的証拠を突きつけられて観念した」というもっともらしい話も、菅家さんの認識とは異なる。

 菅家さんは釈放後に出演したテレビ番組で、司会者に「こうして女の子の首を絞めて…」と虚偽の自白内容を説明した。佐藤弁護士は「実際は自白をさせられた場面を再現しただけだが、スタジオには『やはり真犯人か』と緊張感が漂った。弁護士も誤解しそうになるほど“完ぺきな自白”をしてしまう。だけど、ちゃんと話を聞けば誤解だと分かるんです」と話す。

 佐藤弁護士は言う。「冤罪の結果、女の子たちを殺した真犯人が逃げている。このおそろしい事実をどう考えるか」

(中日新聞)

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【2009/06/11 00:30】 | 政治・経済
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