赤塚不二夫が亡くなった。天才的なギャグ漫画家で大きな影響を社会とそして私に与えている。

 赤塚不二夫の漫画を見たのは1962年から1967年の間のおそ松くんの連載開始後1年ほどしてから。

おもしろくわんぱくで行動的なギャグ漫画でした。なにしろこれまでにないものでした。でもそれは序の口。

 チビ太やイヤミが登場したときは衝撃でした。あんな登場人物が出てくるなんて考えられない。

 何しろチビ太はずるいところもありいたずらする。そしてイヤミは本当にいやなやつで驚いた。

 でもテレビ化されたときはそのペーソスと心にはいるようなギャグの力がわからない作りで粗暴さばかりが表にたち、非難された。悲しかったしだいいちおもしろくなかった。それに非難する人たちはあきらかに漫画のほうは見たこともない状態。怒りを覚えました。

 テレビアニメがわずかで終わり、デカパンやハタ坊も登場してますます調子がのってきたところで突然うち切り。やがて月一連載となったがこれは少年マガジンでの「天才バカボン」連載開始の報復だったようす。

 「おそ松くん」と平行してりぼんで「ひみつのアッコちゃん」が連載され、これはまるで調子の違う魔法的な少女漫画で赤塚の多様さに驚きました。トキワ荘時代は少女漫画を専門に描いていたということを後で知りました。

「もーれつア太郎」がやがて始まりこちらは「バカボン」と違い、ペーソスとギャグが混じった状態。しかしやがて反逆猫のニャロメやココロのボスが登場して爆発力を高めました。

 でも少年サンデーの編集部は混迷し、「もーれつア太郎」の後は何と原作者(牛次郎)付きのストーリー漫画「建師ケン作」をやらせ赤塚の能力を出させない漫画でまるでだめでした。あたり前です。何を考えているのでしょう。ギャグ漫画家は何本もヒット作が描けないものなので、そういう行き詰まったギャグ漫画家に対し最終的にとる方法なのです。天才ギャグ漫画家赤塚不二夫にやらせることではない。現に少年マガジンの「天才バカボン」でばく進している最中なのです。

 いっぽうその「天才バカボン」はギャグですべてを構成しつないでゆくという破壊的なギャグ漫画であらゆるギャグ漫画を乗り越えて新たな段階に入りました。向かう者もなく、しばらくはついていく漫画家もいないくらい大きなジャンプでした。漫画の世界は大きく広がった。

 ところで、「天才バカボン」は信じられないことに少年サンデーに一時移ったことがあるのです。1969年8月のサンデーに赤塚不二夫が翌週から新連載するとある日予告が載った。「もーれつア太郎」はまだ連載中にもかかわらずにです。なんだと思って始まったら、「天才バカボン」で少年マガジンから移ってきたのです。それはかなりの長い間続きました。ところが1971年6月これまた突然終了してぼくらマガジンを経由して少年マガジンに帰っていきました。何のコメントもありません。

 まあ、2007年1月に講談社のモーニングから小学館のビッグコミックスピリッツに移ってしまった「ブラックジャックによろしく」の例もありますが小学館というのは結構こういうことがあるのです。

 赤塚不二夫は漫画の革命ということでは漫画の神様手塚治虫の次にあげられるくらいの成果を上げられた。私たちが漫画で笑い楽しむすばらしい文化を与えてくれた恩人です。
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【2008/08/07 00:17】 | 漫画・アニメ
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