naratakasi

@senkoken77 @iwakamiyasumi それと、できましたらKenさんも非専門家なので、「祢軍墓志」について、おっしゃられることが正しいとわかる日本の専門家の本か論文を、介して私が調べればわかる形で、論駁していただけたらありがたいのですが。よろしくお願いします。
10-04 19:10

@senkoken77 @iwakamiyasumi 私の読解ではなく、日本の専門家の、神野志隆光『「日本」国号の歴史と由来』の記述の参照なのです。私に言われてもそれが正しいのか非専門家なので分かりません。
10-04 18:32

@iwakamiyasumi 滅亡の百済から唐国への亡命将軍祢が唐在住のまま死亡し祢墓で祢軍墓誌を発見。祢を「日本残樟」と記述。《日本の残った要人》の意味で、祢将軍が日本人かというともちろん違う。これは百済の事で百済は中国から東方に位置し朝鮮半島の国を「日本」と呼ぶ語例を発見、伝来していない『普書』記述を実証
10-04 03:09

@iwakamiyasumi 当事国号は国際的な承認が必要で、その権限を持つのは中国・大唐帝国で「日本」という中国の東方への呼び名で用語を使用したのは、馴染があるので、承認しやすくするためではと書かれています。新羅も735年天平7年に「王城国」と国号を変更したが唐が承認しなかったそうです。https://t.co/vCb4e77Zvj
10-04 02:45

@iwakamiyasumi 2も以降も含め全て神野志隆光『「日本」国号の歴史と由来』の記述の参照です。中国古来の日照伝説では東方に扶桑の樹があり湯蕩又は湯谷から8つの太陽が生まれ1日ずつ樹を上ると鳥が付いて天に上がり日が昇る。その樹の植わる場所を「日本」と呼んだそうです。日本国号を承認したのは則天武后ですが、
10-04 02:26

@iwakamiyasumi 但し日本国号は『日本書紀私記丁本』で、聴講の若手公家が「日出処の意ならもっと東から日は出ている」と質問。講師公麿は「日本とは中国から日出地を見た用語で『晋書』に記述あり」と解説。でも伝来書と別系統らしく現書には無い。百済亡命将軍祢軍墓誌が百済を「日本」と呼ぶ語例を発見実証された。
10-04 01:15

@iwakamiyasumi 『旧唐書-日本国伝』で、遣唐使が倭が雅ならず「日本」に国号を変更と唐に申立。神野志隆光『「日本」国号の歴史と由来』で、『漢書』に《倭は「い」で、顔の意味で顔面に入墨があり中国で倭と呼ぶ》と学者の倭の由来が注記、他学者の反論も並列《倭は「わ」でいと読まず》でもこの蛮族記述が原因説。
10-04 00:55

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