東日本大震災と原発爆発と被害が全てが無いものにされようとしている。言葉が今ほど大切な時はない。あさのあつこさんの東日本大震災から2週間後の文章を掲載する。


2011年3月28日 朝日新聞夕刊 作家 あさのあつこ「言葉の力 試されている」

 あらゆるものが剥き出しになった。人の高貴さも愚劣さも、優しさも姑息さも、国のあり方も人の生き方も、ことごとくが仮面を剥ぎ取られ、さらけ出された。そんな感覚がしてならない。

 私事になるが一昨年、娘が福島県いわき市に嫁いだ。今、8ヵ月の赤ん坊を抱えている。3月11日、たまたま上京していた娘は、そのままいわき市に帰る方途を失った。幸い翌日、婿とは何とか連絡がついた。地震、津波、そして原発事故。三重苦に喘ぐ福島にいる彼がわたしに言った。「嫁と娘をどうかお願いします。おれは、今、何の力にもなれなくて」。被災の現場から届く気遣いの言葉に、わたしはただ頷くことしかできなかった。一方、こんなときでさえ、政治家たちの失言、妄言が相次ぐ。

 試されているのだと思う。言葉の力が試されている。

 おまえはどんな言葉を今、発するのだとこれほど厳しく鋭く問われている時はないのではないか。被災地に必要なのは、今は言葉ではない。物資であり人材であり情報だ。けれど、まもなく本物の言葉が必要となってくる。半年後、1年後、10年後、どういう言葉で3月11日以降を語っているのか、語り続けられるのか。ただの悲劇や感動話や健気な物語に貶めてはいけない。ましてや過去のものとして忘れ去ってはならない。剥き出しになったものと対峙し、言葉を綴り続ける。3月11日に拘り続ける。それができるのかどうか。問われているのは、わたし自身だ。

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【2013/02/27 16:04】 | 政治・経済
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