中国が不安定になったら困るからチベットが1950年に地中化人民共和国により軍事占領され1959年の抵抗闘争が起こったことは知っているが、「ファナティックな右翼のイデオロギーの増長充満と跳梁跋扈という日本の思想的現実を意識することなくチベット問題を論じることはできない。」チベットが独立したらウイグル、内モンゴルも独立するからチベットの抵抗も支持しない。

 と、言ってはわるいが、ナチスの生存圏もどきのようなことを言ってる人がいる。生存圏とはつまりはよその国土が自分たちの生存にとって必要なんだと範囲を決めることをいう。ナチスはスラブ民族の東欧やロシアをアーリア人種の人口増加率からみて生存にとって必要な国土として侵略してやがては植民していこうとした。戦前の日本もまねをして朝鮮半島に設定しやがて満州へと広げ、次は蒙古も含めた満蒙へと言った。

 別に侵略しようというわけではないが発想は同じであり、もともとはリベラルな人なのだが、まるきりずれてしまった。

 正直そんな国家主義的な視点で、世の中を見ていたらダメだと言うことだ。
 大国による軍事支配をいやがる人を大国的な視点で不安定になるからというのではいかなる人々の願いもわかることはない。太平洋戦争前にもどったような。

 正直、三自治区が仮に独立を求めるなら仕方ないと思う。ウイグルが本当に独立を求めるかどうかわからない。内モンゴルとなるともっとわからない。これらはチベットとは歴史的な経過が違うのだ。

 それに、あまりに漢民族中心主義で歴史を見ている。中国は漢人中心では歴史は理解できない。漢民族と周囲の騎馬民族のせめぎ合いと支配と分離のくり返しが、実は中国の歴史なのだ。

 もともと、秦の始皇帝時代に中国は国家として統一される。しかし、国土は今の4割に過ぎない。
 秦の後に漢が建国され、新、後漢を過ぎて分裂する。しかしすぐまた統一され、隋唐が建国される。
 しかし、これらの国の皇帝がどういう出自かだ。

 唐の太宗、李氏の血筋を明らかにして処刑された学者がいたのでこれは分かりやすい。鮮碑という騎馬民族からの血筋だった。祖父は鮮碑と漢族のハーフだった。

ところが遣隋使に「日没するところの天子」と国書を送られて怒った煬帝で知られる隋皇帝、楊氏は、元々の性を「普六茹」といって突厥の血筋だった。隋は突厥とも戦っているのにだ。中枢部まで騎馬民族の係累は及んでいる。それだからこそ力を持て出世できたということなのだ。

 そして元も清も別に侵略しに行ったわけではない。向こうから中国を占領しに来て混じり合ったのだ。だから別に独立したいという声は大きくない。

 征服戦争は明の永楽帝が大規模に実施、そして清の乾隆帝の時にもっとも行われ最大版図となった。今の中国はチベット以外はその時の領土そのままである。チベットのように近代になって新たに征服した所でいやだというものは分かれても仕方ないではないか。

チベット問題を論じる前提 - セーフティネットとしての小平路線国家
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【2008/03/26 00:57】 | 軍事支配
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