前回書いたNHKスペシャル「医療再建」のことで、「医療情報の公開・開示を求める市民の会」世話人で、今は厚生労働省:中央社会保険医療協議会委員でもある勝村久司さんが主要コメンテーターの一人だったので、利用されたと書きました。
「NHKスペシャル「医療再建」の医師再配置のうそと財界広報化」
http://isiki21.blog45.fc2.com/blog-entry-52.html 

2008厚生労働省:中央社会保険医療協議会委員名簿
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2003/12/s1201-5.html

 まあ、それでこの「医療情報の公開・開示を求める市民の会」の「2009年 年頭所感」について「どのように読みますか?」と、番組参加者からコメントをいただいたので書いておきます。

 下記の引用は、あまりに段落が長いので、私のほうで適当に分けています。
http://homepage1.nifty.com/hkr/simin/hyousi.htm

2009年 年頭所感 (世話人 勝村久司)
 ここ数年は、医療改革にとっては「失われた数年」だったと総括すべきかもしれません。

 マスコミ報道が、それがまるで医療改革の切り札であるかのように、再三取り上げたことは、「病院の中に患者の苦情処理係や紛争処理係としてメディエーターとよぶ職業を新たに配置していこう」とか、「小児の夜間救急においてコンビニ受診を控えるような動きを広げていこう」とか、「医師賠償責任保険に加えて、新たに、過失があろうとなかろうとお金を支払う産科医療の無過失補償制度を導入するために出産一時金を引き上げよう」等、どれをとっても、医療の中身とは本質的に関係のない医療の外側のことばかりで、すべて、患者の言動を変えようとすることばかりです。まるで、医療の中身の議論をすること自体がタブーになったのか、と思わざるをえないような報道が続きました。「患者の声を打ち消す」「患者に我慢を強いる」「患者に裁判をさせないようにする」というだけでは、医療改革の議論はなかったも同然です。

 唯一「医師数と医療費の総額を増やす」という話がありましたが、これだけでは、歪んだ医療の形をそのまま相似形で大きくするだけで、「時間(救急)」「空間(僻地)」「種類(診療科)」「報酬(収入や単価)」そして「質(技術や倫理)」の格差を更に拡大してしまうことになります。医療の様々な格差を解消するために、医療システムのグランドデザインを描き、医療資源を健全に配置しようとする議論が不足しているばかりか、そのためのリーダーシップをとろうにも、現状の歪みや格差を知るための情報さえ蓄積されていません。医療は外側の形が歪んでいることはわかっても、その中身は高い壁によって遮られ、見ることさえできないのです。人口が減少していく時代に、右肩上がりで量を増やしていくだけで、いろいろな問題が自然に解決していく、と思うのは明らかに幻想です。今の社会はそのような歴史の負の遺産である開きすぎた「格差」をどうやって縮小していくかがテーマであるはずです。

 また、「訴訟リスク」「萎縮医療」という意味のわからない言葉も再三マスコミは報道してきました。そして「医師は刑事訴訟を免責すべきだ」という論まで広がりました。民事訴訟や刑事訴訟を減らすためには、患者や司法を変えるのではなく、あまりにもひどい医療事故や医療被害をなくすことこそが大切です。医療裁判に寄り添ったことがない、医療事故を見出しでしか知らないような人たちが、これらの言葉を使っているとしか思えません。

 長年、漫然と繰り返される医療事故の被害者たちは、医療裁判で、事実経過を争ってきただけです。病院側が情報を隠して、真実と異なる事実経過を、まるで真実であるかのように主張し始めるたびに、被害者たちは泣き寝入りか、真実を訴えるための裁判せざるをえないかの二者択一を迫られるところに追い込まれてきたのです。

 「ごく普通の医療が誠実になされていたら助かっていた命が失われ、一部の医療とはよべないような行為やあまりにもひどい不誠実な対応によって被害が繰り返されている」のに「医療は精一杯やっても結果が悪くなることがあるのに、それを理解できない患者が裁判をしている」という偏見を流布し続けてきた医療界。だから、医療の内部は何も改善する必要も変わる必要もなく、拡大をしていくだけでよい。さらに、医療事故の情報を蓄積する必要もないし、医療費の明細書を患者に手渡す必要もない。「変わるべきは医療界ではなくて患者の方だ」というだけでなく、「医療被害者が医療を崩壊させた」という本末転倒の誹謗中傷まで広がってしまっています。

 2009年も、このようなマスコミ報道が続き、それを見聞きした国会議員が、それが医療改革の議論だと勘違いし続けたら、日本の医療に未来はないでしょう。幸い、2008年は、私たちと同じ思いの健全なマスコミ関係者や国会議員、医師たちとたくさん出会い、励まされ、世の中は捨てたものじゃない、と思える年でした。11月末には、日本医学会会長が会長を兼任する「医療の質・安全学会」が、医療事故や医療費の情報開示を求め続けてきた「医療情報の公開・開示を求める市民の会」の10年間の功績をたたえ表彰してくれました。12月末には2時間近くのNHKスペシャル「医療再建」が、私に発言の機会をくれただけでなく、これからのあるべき議論の土俵の土台を作ってくれました。

 サイレントマジョリティである国民の多くに、溢れるデマや偏見ではなく、必要な情報を正しく健全に伝えていく必要があります。患者のために精一杯仕事をしているために過労気味になっている多くの医療者も、不本意な医療を受けてしまった患者も、その苦しみの体験や立場は違いますが、実は、「だから、こうすればよいのに」と考えることはたいてい同じなのです。反対側で苦しんでいる者どうしが、実は、同じ改革を求めているのです。

 だからこそ新しい年には、将来、医療者にも患者にもなる子どもたちのために、誰にとっても本当に意味のある議論を始めていく必要があります。そのためには、医療情報の蓄積、公開、共有が欠かせません。医療の壁を取り払い、医療の中身の議論と、医療の様々な格差を解消していくシステムの議論を始めていきましょう。



私は、「医療情報の公開・開示を求める市民の会」の機関紙も読んでいました。勝村久司さんのその誠実さと真剣さ、能力には疑いを持ちません。厚生省の追及をしたおかげて医療被害の行政がだいぶ進んだと思います。

 ではなぜあのような、番組のおかしさに気がつかないのでしょうか。正直キチンと問題点も含めて国民的議論をして、国民が認めるのなら、再配置もいいと思います。ただし実際には、かなりの制度変更と、医師の数を増やすという政策も同時並行でされると思います。

「患者の声を打ち消す」「患者に我慢を強いる」「患者に裁判をさせないようにする」と、いう議論ばかりなのは本当でしょう。

また、「「訴訟リスク」「萎縮医療」という意味のわからない言葉も再三マスコミは報道してきました。そして「医師は刑事訴訟を免責すべきだ」という論まで広がりました。民事訴訟や刑事訴訟を減らすためには、患者や司法を変えるのではなく、あまりにもひどい医療事故や医療被害をなくすことこそが大切です。医療裁判に寄り添ったことがない、医療事故を見出しでしか知らないような人たちが、これらの言葉を使っているとしか思えません。」

 それはそのとおりでしょう。だからといって原理主義的に国民に再配置を押し付けても困るのです。これは市民運動の陥りやすい傾向だと思います。
 国民は、やはり自由診療を捨てたくないという気持ちも強いのです。それがわからなくなっているのだと思います。
 それで、視野が狭くなり、気がつかないのでしょう。

 勝村久司さんに再三失礼なことを申し上げています。どうも申訳がない。でもあれだけ情報操作をしている番組に気がつかないというのは困るのです。

 この年頭所感のとおり、「刑事訴訟法の免責」などとんでもない話です。こういうことを言いだすのは、産婦人科医を中心として医師の確保が困難だからでしょう。だからといって安心な医療を行う国民への義務まで排除されてはたまったものではありません。

 とんでもないのは、他にも、2008年7月29日に自民党の「医療紛争処理のあり方検討会」で、救急医療を刑事免責しようと刑法改正の私案まで示されています。

 厚生労働省から独立した形で、医療事故調査委員会(仮称)を作り、国民からの調査要求を認めて、刑事訴追もできる権限を与える。こんな形ではどうでしょうか。もちろん、刑事訴訟法に枠をはめるわけではありません。警察も独自に動けるのです。委員会が調査していると連絡する規定を設けるだけでいいのではないですか。それで両者の調整が自然にとれると思います。警察がどうしてもこれは訴追せねばと思えば動けるし、その内容がおかしければ委員会も動ける。

 私はもちろんタダの国民に過ぎずあまりに勉強は足りないです。医師や市民運動側とは意見も違うでしょう。でも一人の医療にかかる国民としてまともな議論ができるようにお願いしたいのです。

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【2009/01/12 19:54】 | 医療再生
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