郷原信郎元東京地検特捜部検事が、先週小沢一郎検察審査会での起訴を求める議決についてテレビで語ったことをまとめている。

検察審査会の本来の目的とは「起訴相当」とされたのは不動産取得の期ズレの問題
http://business.nikkeibp.co.jp/
article/topics/20100507/214296/


 今回の検察審査会での議決ほどがっかりしたことはない。というのは、昨年5月の検察審査会法の改正で「起訴相当」との議決が2回行われた場合には、裁判所が指定する弁護士によって強制的に起訴の手続きがとられることになった。というのはあまりに不透明な不起訴が多かったからだ。この改正自体はアメリカの例にならったものだと思う。
これでこれまで再議決されたのは、明石横断橋事故での副署長、JR西日本の福知山線脱線事故の責任を問うた利益至上主義と日勤教育による恐怖支配を蔓延させた井手正敬元社長。いずれもなぜ起訴されないのか不思議だという人々だ。

 しかし、検察審査会が冤罪作りに利用された例は実は存在する。それは兵庫県西宮市の知的障害者施設 甲山学園で園児2人の死亡事故が発生したことに端を発する冤罪事件、「甲山事件」での山田悦子さんの例だ。
 検察の証拠不十分と同僚のアリバイ証言による不起訴に対し、被害者の男児の遺族が検察審査会に不服を申し立てた。検察審査会が「不起訴不当」の決議を出したため、警察による再捜査が始まったのだ。この事件自体は、知的障害者とふれあってきた学園の係員はすぐ事件の内容が理解できた。しかし警察関係者は知的障害者のことがわからず殺人と決めつけて起こった明らかなえん罪である。ところがマスコミのラッシュ報道により山田悦子さんがあたかも犯人と決めつけられた。それで検察審査会に選ばれた人々までそれに動かされ、再捜査により強引な起訴が行われ同僚まで偽証だとされた。検察審査会は何ら機能を果たせず冤罪製造機と化した。

 今回の小沢一郎捜査に検察は半年間かけて全力をあげたが何も出なかった。政治目的での暴走以外の何ものでもない。それが西松建設の5千万円の裏金を受け取ったかのような検察リークでマスコミ一体となったデタラメ報道と情報操作をした。それに簡単に検察審査会に選ばれた人々が引っかかって「起訴相当」の議決をした。「甲山事件」の時と同様の状態である。

 当然検察は再度不起訴にする。そうすると裁判所選任の弁護士による「強制起訴」である。しかし、これでも何もないので裁判になっても何もできないまま終わる。政治家小沢一郎が振り回され弾圧されたことだけが残る。

 検察特捜にとっても今回の「起訴相当」の議決は困ったものだと郷原氏の指摘でわかった。自分たちが捜査した証拠を裁判に出さねばならない。

しかし、これも検察が原因を作ったのは間違いない。検察暴走でリークと情報操作、不起訴時にも内容を説明せず、「小沢氏を起訴する余地もあったが慎重を期して不起訴にした」などと疑惑があったのだと根も葉もないことまで記者会見で述べている。
 これで検察審査会選任の市民が動かされてしまった。

 これまでの、検察審査会の動きをみると何らかの裁判所の介入や裁判所選任の専門家の参加など検察審査会制度自体の再検討がどう見ても必要である。このままでは政治弾圧と冤罪の巣となってしまうのではないか。

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【2010/05/10 00:00】 | 政治・経済
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 えん罪でなぜやってないのに自白するか。

 足利事件で管家さんがなぜ自白をしたのか。ピンとこない方も多いようだ。

 それは、テレビでの刑事ドラマに毒されているせいだ。正義の味方で犯罪を追求する。でも現実の一番ベテランとよばれる刑事たちは基本はそんなことを考えていない。ただカンだけでピンと怪しい人間を見つける。ところがこれがたいていはずれている。むしろ、新聞記者の方がこれは怪しいという勘は、あたるのではないか。
 それなのに、刑事はこのはずれた勘で犯人と決めつけた人間を何とか追い込もうとするのだ。それを「落としの技術」だとうぬぼれている。


 えん罪の人はまずやってもいないことをやったと取り調べられる。とんでもない間違いをしているだけだと思ってそう必死になって言うがけっして調書には書かれない。
 「お前がやったんだ」と怒鳴られる。髪の毛を引っ張る。足を蹴る。終わって机の角やドアのところが危険で、突き倒されてそこに当てられケガをさせられる。抗議するとお前が勝手に転んだと言われる。

 そして、それに対して抗議し続けると今度はもう一人なだめ役がいるのだ。「あいつもきついことばかりして本当にすまない」などと言われる。でもこれは役割分担で硬軟取り混ぜて被疑者を追い込むためにやっているのだ。

 そして問題は取り調べ後で、本来は警察外の拘置所に移されなければならないのだが、現在は警察署内の留置場、ただの監視された檻の中である代用監獄に収監されている。夜の灯もついたままで寝るときでさえ見張られたままだ。伸びをしたり少し体を動かすのも了解がいる。文句が付く。扇の要状の所に監視人がいて、檻が丸見え状態のところなのだ。ろくろく寝られない中でふらふらになりながら早朝深夜にもたたき起こされたりして取り調べが続く。

 そんな風な生活で毎日孤立無援で毎日お前がやったと言われ、せめられる。それで必死になって抵抗するが親や親族や友人もお前を犯人だと思っているとか言われる。そうすると精神的に参ってきて相手に依存する心理が働くのだ。
 もちろん取調官はよくわかっていてやっている。その上「ここで認めて楽になって裁判で争えば簡単だ」とか誘導される。普通の人はこれが罠だとわからない。「やりました」この言葉が出てしまうと取調官の思うがままだ。

 ところで、えん罪の人は事実関係を知らない。知っているのは取調官だけなので、異常な話だがクイズを当てるようにヒントを出されて誘導されて当てていく。お前がやったんだろう、なぜ言えないのだと攻められる。それでも当てていく。時により「そもそも、やってないんだから答えられるか」などと反乱を起こすが、なだめ役の刑事に、押さえ込まれる。時により林檎やチョコレートなどがこういうとき与えられる。本当にこういうふだんでは何でもないものに飢えているので崩れてしまう。

 管家さんも自白後に現場検証しても死体の場所を知らなかった。あちこちおかしなつじつまが合わないところが調書を始めとして出てくる。当たり前であり、やって無くて誘導されて答えているだけなのでそうなる。でも裁判官は自白偏重に偏る人が多く裁判になっても問題にされない。

 例えば殺したことを悔いて被害者を悼む句や短歌など、こしらえてしまう。
 今取り調べの可視化でビデオで撮るように言われるが完全可視化でないと一部だとどうみても犯罪をやったことを証明しているように見えてしまう。たちまちえん罪の大きな原因となる。
 ビデオ撮影と共に米国のように、取り調べは弁護士立ち会いでないとできないようにすべきなのだ。

 起訴を控えて拘置所に移されて初めて我に返る。なぜやってもいないことをこれだけ認めていたのか。
 ところが裁判で無罪を唱えてもあっという間に有罪だ。それを再審で覆すには何十年もかかったりする。

 そもそもなぜこんな馬鹿げた取り調べを警察がするか。戦前の国家警察の流れをくみ、とにかく役所として犯人さえ適当に捕まえればいいと言う、真実と犯人を見極めるという常識から外れた流れが存在するのだと思う。
 こういう取り調べと、それとセットとなった代用監獄をやめないとえん罪は今も生み出されていく。

 ちなみに、私にいかに、こういう警察の犯人としての決めつけがいい加減なもので、えん罪がひどいものかを知らしめたのが甲山事件でえん罪で逮捕された山田悦子さんだ。殺人の被疑者として逮捕されて無罪を勝ち取って、亡くなった子供の両親の上申で検察審査会による勧告で再度逮捕された。この時はアリバイ証言した人までわざわざ偽証だと同時に逮捕した。そしてまた偽証だと逮捕された人も含めて無罪になった。この上申は警察のあおりがあったように感じる。

 その山田悦子さんに講演に来てもらい打ち上げで話した。この人が殺人犯でないと言うことは話してみればすぐわかる。この間の山田悦子さんの言葉にならないような苦しみは何のためだと深く絶望し、怒らざるを得ない。

 管家さんの17年半の苦しみ、多くのえん罪は権力犯罪だと思わざるを得ない。単なる誤認ではなく治安優先、業績アップのためのごまかしを警察がして人々を地獄の中で苦しめているのだ。

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【2009/06/08 06:55】 | 市民監視
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愛てんぐ
奈良さん、お久し振りです。

江川昭子さんのブログに、菅家さんのインタビューが載っています。
http://www.egawashoko.com/c006/000290.html
そこで、自白したことばどが書かれています。
菅家さんは、劣等感があり、人や社会を恐れ、その場が上手く行くことだけが、生きる術だったように思います。
相手が怒れば、自分を曲げて、相手に同調して、その場をやり過ごす、それが気の弱いものとしての、生きていくやり方と身についていたようです。
だから、警察に怒られないために、適当な作り話をしてしまったようです。
支援者が現れて、自分を出してもよいのだと気付かれたそうです。
それども、栃木県警本部長から面と向かって言われると、怒れない、弱いところが出てしまうのが見て取れます。

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