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この方の文章の転載です。 施 光恒(せ・てるひさ)政治哲学者@九州大学 大学院比較社会文化研究院准教授。
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2013/02/08/se-6/
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おはようございます(^_^)/

最近、何かと「体罰」が話題になっていますね。

周囲の学生などに訊くと、「体罰は日本の伝統」
だと考えている子が多いようです。マスコミの議論でも、体罰は、「日本型組織運営の伝統」などと断定しているものを見かけました。

これ、間違いです。
(`・ω・´)キリッ

体罰は日本の伝統なんかではありません。むしろ日本のしつけや教育は、体罰を使わないことで、欧米人に驚かれることが多かったのです。つまり日本の伝統は、むしろ体罰を用いないところにあるといえるでしょう。

渡辺京二『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー、2005年)では、日本の温和な子育てについて、昔の多くの欧米人の記述が引用されています。

たとえば、戦国時代(16世紀)に日本を訪れたポルトガル出身の宣教師フロイスは次のように記しています。

「われわれの間では普通鞭で打って息子を懲罰する。日本ではそういうことは滅多におこなわれない。ただ言葉によって譴責するだけである」。

江戸時代以降でも同じだったようです。

「注目すべきことに、この国ではどこでも子供をむち打つことはほとんどない。子供に対する禁止や不平の言葉は滅多に聞かれないし、家庭でも船(長崎から江戸への船旅)でも子供を打つ、叩く、殴るといったことはほとんどなかった」(18世紀後半に日本を訪れたスェーデン人ツュンベリ)。

「日本人の性格として、子供の無邪気な行為に対しては寛大すぎるほど寛大で、手で打つことなどとてもできることではないくらいである」(19世紀前半の日本を訪れたオランダ人フィッセル)。

「私は日本が子供の天国であることをくりかえさざるを得ない。世界中で日本ほど、子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない。ニコニコしている所から判断すると、子供達は朝から晩まで幸福であるらしい」(19世紀後半(明治初期)の日本をみたアメリカ人モース)。

実際、江戸時代の子育ては、非常に温和で、子供を大事にしたようですね。
( ^^)/(^^) ナデナテ
「溺愛」といっていいほど子供をかわいがり、その一方で子育てに対する人々の知的関心も庶民にいたるまで高く、数多くの育児書が出版されていました(中江和恵『江戸の子育て』(文春新書、2003年))

日本における体罰の歴史を研究した江森一郎氏によると、江戸時代の始め(17世紀前半)ごろから、日本人は、家庭や学校(寺子屋など)で体罰をほぼ用いなくなったそうです(『体罰の社会史』新曜社、1989年)。

上記で触れた日本を訪れた欧米人の言葉からもわかるように、同時代の欧米や中国ではムチで打つなどの体罰がさかんだったため、体罰の少なさは、日本のしつけや教育の際立った特徴でした。

江森氏は、庶民教育を担った寺子屋では、罰として、居残りさせたり、立たせたりすることは行われていたようですが、体罰は非常に少なかったと推測しています。

藩校など武士の教育機関でも、同様だったようです。武士は誇りを重んじ、体罰は体面を傷つけると考えられたことから、武士の教育でも体罰はあまり用いられなかったというわけです。

江森氏は、「武士のモラルがわかり興味深い話」として次のエピソードを紹介しています。

明治六年に、できたばかりの日本の海軍兵学寮(のちの海軍兵学校)は、英国海軍少佐ドークラスを招聘し「新兵学寮規則」を制定しました。ただ、その際、佐賀藩士出身の校長・中牟田倉之助は、英海軍式の鉄拳制裁を、「武士の伝統と作法を説き、頑として受け付けなかった」そうです(江森氏が参照している元ネタは、鎌田芳朗『海軍兵学校物語』(原書房、1979年))。

つまり江戸時代には、庶民も武士も、子供への体罰を強く嫌っていたといえるでしょう。

明治12年(1879年)に教育令が定められるのですが、そこには「凡そ学校に於ては、生徒に体罰を加うべからず」(第46条)と体罰禁止規定が明文化されました。

日本が体罰禁止規定を法文化したのは、欧米の大多数の国々よりむしろ早かったのです。江森氏によれば、「学校体罰法禁の西欧最先進国であるフランスでさえ、(日本の)教育令の規定より8年遅れている」のですから。

日本の学校で体罰が結構みられるようになったのは、1930年代から第二次大戦中にかけてのようです。
近代化が進み、江戸の記憶が薄れてきたころから、まず日本の軍隊が徐々に変質し、鉄拳制裁が行われるようになった。そして、その影響が、学校での軍事教練などを通じて、次第に、1930年あたりから学校教育の現場に伝わった。そのように描けるのかもしれません。

この点について、著名な文化人類学者・梅棹忠夫氏(1920年生まれ)は、あるシンポジウムで、自身の体験にもとづき、「一つの証言」として体罰について次のように述べていました。

「私は、1920年代に幼稚園、小学校教育を受けた、まさに戦前の非民主主義教育を受けた人間ですけれども、私の記憶の中には、たたかれたという記憶は一切ありません。…体罰というのは考えたこともない。全然ありません。…日本はもともと幼児に対する観念が(欧米などと)非常に違うんだ。たたいたりはしない」(梅棹忠夫・栗田靖之編『知と教養の文明学』中央公論社、1991年)。

同じシンポジウムで、日本政治思想史の研究者・渡辺浩氏も次のように述べています。

「ある人の説なのですけれども、体罰というとまず思い出すのが軍隊における私的制裁ですが、それがいつごろ帝国軍隊ではじまったかというと、第一次大戦後ぐらいからだという。明治時代にはやらなかったというのです。

それまでは士族が多かったので、その感覚が残っていた。侍の上位者がその下の侍の顔をなぐるというのはちょっと考えられないというわけです。侍は名誉心が非常に強いですから、人格的な屈辱を与えちゃまずいのですね。そうすると死に物狂いで反抗してくる可能性がある。たとえ主君であっても家来の侍を人格的に侮辱すると、死に物狂いに反抗しうる。

軍隊の私刑は…、…むしろ武士的なものがなくなってから軍隊ではじまったんだという説があるのです。それが1930年代になったら、学校教育へ還流してきたと言えるのかもしれません」(同上書)。

戦後は、どうなんでしょう。

読者の皆様のなかにも、個人的体験から、「結構、先生にたたかれた」という人、あるいは逆に「ほとんどたたかれたりしなかった」という人が、それぞれいらっしゃるんではないかと思います。

一般的には、日本の家庭や学校でのしつけや教育(特に初等教育)は、意外だと思われるかもしれませんが、欧米と比較して、温和で、情緒や人間関係を大切にし、非権威主義的だと言えるようです。

たとえば、アメリカの教育学者キャサリン・C・ルイス氏は、現代日本の学校教育、特に初等教育をとても高く評価しています。

ルイス氏は、日本の親や教師は、アメリカに比べて、頭ごなしに命令したりルールを押し付けたりするなど権威主義的にふるまうことが少なく、子供の自発性を大切にしている、学業面だけではなく情緒や共感性や意欲など全人格的発達を重視している、と論じています。

また、そういう日本の教育の良さは、江戸時代以来の日本の伝統的な子ども観や教育観の影響が大きいとルイス氏は述べています(土居健郎、キャサリン・ルイス『甘えと教育と日本文化』PHP研究所、2005年。ま たはLewis, C. C., Educating Hearts and Minds: Reflections on Japanese Preschool and Elementary Education (Cambridge University Press, 1995)。
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【2013/02/12 18:23】 | 社会、考えたこと
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 盧武鉉元大統領遺書韓国の警察が公開したものがきっこのブログや日本の新聞で掲載されているが、あまりに短い。実は下部にカットされた部分があることがわかった。

「あまりにも多くの人たちのお世話になった。わたしのために多くの人が受けた苦痛はとても大きい。これから受ける苦痛も推し量ることができない。余生も他人の荷物となるしかない。健康が良くないので何もすることができない。本を読むことも、文章を書くこともできない。あまり悲しむな。生と死はすべて自然の一部ではないか。すまないと思うな。誰も恨むな。運命だ。火葬にしてくれ。そして家の近くに、ごく小さな石碑を1つだけ残してくれ。長く考えた末の考えだ。」(世田谷通信)



朝鮮日報サイトが2009年5月23日にカットされた部分を掲載したがそれ自体が削除されてしまった。そしてこのページ(日本語版)が掲載された。これでも日本で公開されているものより多い。しかしまだ改変され削られている。

だが、グーグルキャッシュがある。
さらにその翻訳ページ(BYグーグル翻訳)一部翻訳されない部分があるのでこの日本語版のキャッシュがあるはずだがどうしても出てきません。

盧戦隊大統領補佐官の"遺書に'お金の問題の完全である'書かれていて
朝鮮ドットコム

入力: 2009.05.23 13:06 /修正: 2009.05.23 15:26

評価は、遠い将来の歴史が解明を

 警察が公開した遺書には、このような内容なく、盧元大統領の側近は、盧前大統領が残した遺書のもう一つの内容を公開した。

 これによると、盧前大統領は、遺書に"住んでいるのが難しく、監獄のようだ"とし、 "それなりに、国政のために情熱をダハエトネウンデ国政が誤っていると批判され、本当に苦痛だった"と明らかにした。

 しかし、このような内容は同日午後、警察が公開した遺書には含まれていない。

 盧前大統領はさらに、 "今私をまるで国政を誤作動させたと批判し、知人たちにお金を恐喝し、汚職をするように映っれ、家族の仲間、知人に至るまでの刑務所で孤独な生活をするようにしており、オエロプゴもどかしい"と語った。

 盧前大統領はまた、 "息子娘と支持者たちにも、本当にすまない"とし、 "トエイムフ農村部の村に帰って余生を送ろうとしたが、よくされておらず、全く残念だ"と語った。

 遺書は、要するに"お金の問題に対する批判が出るのですが、この部分はカエケウトハエトダ"とし、 "それなりに綺麗な大統領と確信しましたが、私の評価は、遠い将来の歴史を解明する"と記されていると、この側近は伝えた。


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【2009/05/26 00:10】 | 政治・経済
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 つい、1年前まで韓国の最高権力者だった盧武鉉(ノ・ムヒョン)前大統領(62)が、自宅近くの岩山で崖から飛び降りて自殺した。

 前大統領は権良淑(クォン・ヤンスク)夫人が100万ドル(約1億円)や長男建昊(ゴンホ)氏、実兄や元側近が500万ドル以上を後援者から受け取っていたことで、最高検察庁が婦人や実兄を逮捕すると共に前大統領本人も5月30日に事前聴取されたばかりだった。今回の前大統領の自殺は長引く捜査に追いつめられてのことだと思われる。死亡時刻は9時30分。文在寅(ムン・ジェイン)元大統領府秘書室長が、「遺書を残して自殺」と11時に確認した。

 盧武鉉前大統領は遺書に、「あまりにも多くの人たちのお世話になった。わたしのために多くの人が受けた苦痛はとても大きい。これから受ける苦痛も推し量ることができない。余生も他人の荷物となるしかない。健康が良くないので何もすることができない。本を読むことも、文章を書くこともできない。あまり悲しむな。生と死はすべて自然の一部ではないか。すまないと思うな。誰も恨むな。運命だ。火葬にしてくれ。そして家の近くに、ごく小さな石碑を1つだけ残してくれ。長く考えた末の考えだ。」(世田谷通信)とパソコンに書き残した。

 検察は、盧前大統領側の捜査を打ち切った。

 しかし、韓国では朝鮮戦争以来の戦時体制の下で大統領に権限が集中し、最高裁判所長官ですら大統領が指名している。またそのためまず大統領になると親族に誘惑の手がのび、その中で大統領も腐敗の渦に巻き込まれ、民主化以後も大統領の職を退いた後に必ず司法側から訴追や取り調べを受けている。実際の本人の腐敗は全斗煥と盧泰愚前大統領の二人のみだが、後は家族が狂うのだ。韓国は儒教の伝統で目上への敬意と家族結合が強い国だ。ところが親族に強大な権力者が出ると逆作用が始まる。

 全斗煥大統領の実兄も弟の退任後に収賄で逮捕されたが、全斗煥はクーデターで実権を掌握した後で大統領になったが、兄は全く普通の人だった。ところがある日弟が大統領になってそれ以後あらゆる誘いの手が来たそうであっという間に感覚がおかしくなり収賄に手を染めてしまった。現実に影響力を与えることができたそうだ。
 全斗煥前大統領は政治背資金の着服で罪に問われた。その後、また盧泰愚前大統領と共に光州での民衆殺戮の責任を問われた。ただし民衆への軍事制圧の責任を問われるのは仕方ない。
 しかし、金の問題についてはもっと軍事以外の権限を分散しない限りこういう悲劇は無くならないのではと思う。

 盧武鉉大統領は韓国慶尚南道の貧しい農家出身で高卒だが司法試験に挑戦して弁護士となった。弱者保護を掲げて弁護活動を展開し有名弁護士になり、福祉政策充実をあげて政界入りした。全斗煥前大統領の不正蓄財疑惑追及で名を上げた。そして金大中大統領の後継者として格差是正を旗印に大統領候補になった。そしてネット世代に支持されネット政治運動の中で大統領へと上り詰めた。
 しかし、大統領当選後に手のひらを返すように新自由主義政策に転換し日本以上の格差社会をつくって大きな裏切りの声と失望を招いた。

【速報】「ノ・ムヒョン前大統領が死亡、自殺か」(世田谷通信)

http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/2009/05/post-aca3.html

韓国の盧武鉉(ノ・ムヒョン)前大統領(62)が、23日、登山中に死亡したことが分かった。前大統領は、23日の早朝から慶尚南道金海市の自宅付近の山を登山していたが、午前6時40分ころ、崖から滑落して頭部に重傷を負い、病院に搬送されたが死亡が確認された。現場の状況などから、慶南警察庁は自殺の可能性が高いとして慎重に捜査している。前大統領は、600万ドル以上を後援者から受け取った収賄罪の容疑で事情聴取を受けており、逮捕が間近と言われていた。(2009年5月23日)


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【2009/05/23 12:18】 | 政治・経済
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