金大中元韓国大統領が、85歳で昨日8月18日に死去した。原因は老衰による肺炎で、大往生と言っていいだろう。
 朝鮮半島分断後初の南北首脳会談の実現と韓国民主化への貢献でノーベル平和賞も受賞した。
 大統領になったときアジア経済危機で韓国が存亡の危機にさらされたときも、体勢を立て直して適切な指導で2年くらいでみごと再建した。北朝鮮への大統領退任後に援助で批判を受け、不適切な送金があったと問題にされたが、おおむね民主化に命をかけて闘い勝ち取った優れた政治家として歴史に残るだろう。

 私が、金大中という名前を初めて知ったのは、1973年(昭和48年)8月8日、東京に滞在中、ホテルグランドパレスから拉致され韓国で傷だらけになり放された金大中事件のときだった。そしてこのとき初めて隣国の韓国が民主政治体制が朴正煕大統領により押しつぶされ一人独裁の元に置かれていることを知った。金大中は大統領候補で不正選挙で落選したが、もし公正な選挙なら当選していただろう人であることを知った。自動車事故を装った暗殺未遂で股関節に障害を負った。その後朴正煕が独裁体制を維新クーデターで築いたが、からくも国外にいて助かり亡命状態だったのだ。

 そして韓国国内は韓国中央情報部 (KCIA)の精緻を極めた監視の下に置かれ息が詰まるような情報部監視体制の中にあることを知った。
 この金大中事件も、謀殺を意図した韓国中央情報部 (KCIA) によって実行されたもので情報部員と思われる韓国大使館員の指紋もグランドパレスから発見された。これほど明白な違法行為なのに日本政府ははっきりとした抗議をせず、金大中氏は国外に出られずソウルで軟禁状態に置かれた。

 その後朴正煕大統領が官邸内でKCIA長官により暗殺。それでソウルの春という解放状態がきた。
だが、韓国士官学校一期生たちのリーダーで軍内部の実力者、盧泰愚、全斗煥が主導して軍隊がクーデターを強行。国軍司令官を突如何の根拠もない反逆罪で逮捕して拷問して国軍の実権を掌握した。
 これに反対する杭州市を中心にした抗議運動に空挺部隊で制圧。軍隊が自国民に無差別殺戮を行い何百人もの犠牲者を出して制圧された。
 そしてこの光州事件を逆に反乱だとして金大中の指令だと軍事裁判で死刑を求刑した。日本でもこの暴挙に多くの人がハンストをして抗議した。そして無期懲役に減刑。アメリカからの働きかけで病気治療を名目に米国へ出国。だが数年後帰国をして逮捕。恩赦で釈放される。

 その後クーデターの首謀者である全斗煥が大統領になる。そして1987年首謀者の2番目の盧泰愚が大統領候補になったが選挙が実施される。この時金大中も立候補するが敗北。1992年にも挑戦するがまたも敗北。いったん引退するが、再度立ち戻って1997年の大統領選挙では保守派の金鍾泌と当選後首相制にするとの空約束で手を結び、見事当選した。ただしこの約束は果たされなくて金鍾泌と仲たがいした。

 大統領となり来日した際に金大中事件の時に、救援に動いた支援者の店を訪問し、支援者は信じられない、と感激のあまりもう天国に召されてもいいと言った。

 金大中氏は波乱万丈の人生である。しかし、民主化を果たして大統領にもなったのだから思い残すことはないはずだと思う。その偉大な人生を思い起こし哀悼の意をささげたい。

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【2009/08/19 23:17】 | 政治・経済
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