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納棺夫日記 増補改訂版
青木 新門
文藝春秋 ( 1996-07 )
ISBN: 9784167323028
おすすめ度:アマゾンおすすめ度


 映画「おくりびと」が、私の予想を超えて大ヒットして、しかもアカデミー賞外国映画賞も受けた。そして国内の日本アカデミー賞も10部門を受けた。多くのこれまで見に行ってなかった人も見ようとしている。

上映劇場
http://www.okuribito.jp/theaters.html

 きらめく極寒の中の清涼な思い。人の死を看取ることをこれほど迫って描いた映画はない。死をみとることで差別される。その激しい現実と周囲の覚醒。本木雅弘さんが、子供の出産後インドに旅行したことで深く生と死を考えるようになり、いろんな本を読んだ。その中の一冊が、映画の事実上の原作である『納棺夫日記』青木新門 文春文庫だ。「準原作」とよびたい。

 現実に、関わりのない飲酒店の経営から納棺夫になった青木新門さんの日々と、死と生の思索の本だ。しかし、これは原作とは名乗っていない。「おくりびと」のエンドタイトルをじっと目をこらしていたが、『納棺夫日記』の名前は出てこなかった。
 『納棺夫日記』の帯にも、
「本木雅弘さんが、この『納棺夫日記』に感動して、映画「おくりびと」が誕生しました。」
と、ある。しかし、原作とは入ってない。
 ところが、他で読んだ青木さんのメッセージでは、本木雅弘さんと協力したとのこと。ではなぜ原作ではないのか。わからないところだ。青木新門さんのそういう思いなのでしょうか。

 後にわかったのは、脚本ができた段階と封切り直前本木さんが青木新門さんに原作として入れたいとお願いしたが、「「原作者」とされることは拒んだ。一番描いてほしかった「『おくりびと』が(死者を)どこに送るのか」が描かれていなかったからだ。」(毎日新聞)正直よくわからない。

 また次の原本の出版社桂書房のブログに、青木さんの評価は高いが富山が舞台でないという不満があるそうだ。

完成試写会から戻られて直ぐに来社された際も、映画のチラシを数部置いていかれ、「自分の著書とはまったく別個の作品だが、映画作品としてとても良いものになっていた。役者の力を見てきた」と嬉しそうに推薦していかれましたよ。
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「真摯に死に対峙し、いのちの伝達、人と人のきずなという僕のテーマをも曲げることなく演じていた。本木君の熱意は凄いものだ。」(北日本新聞9月3日朝刊)

と、昨日の地元の新聞にも写真入でコメントされていました。

ただ、昨日来社された際に何度も口にしておられたこと・・・

「“今朝、立山に雪が来た。”で始まるんだよ、私の納棺夫日記は・・・」

“今朝、立山に雪が来た。”の一節は、『納棺夫日記』の第一章 みぞれの季節の冒頭の文章です。

ここは、確かにとても『納棺夫日記』にとって重要なところで、毎年この日が来ると富山に暮らす人々にとっては、特別な思いが脳裏に過ぎる瞬間なんです・・・私もこの冒頭文にはいつもなんとも言えないものを感じます。

郷土への思いは人一倍熱い方なので、映画の制作上の都合と折り合わず、自分の名前も作品タイトルも使用を断られた大きな理由のひとつなんだろうかと想像しています。

「“立山”の名前が世界に届いたのに・・・」

昨日も凄く残念がっておられたのが印象的でした。

映画は庄内での撮影だったと聞いてますので、“立山”ではない撮影地の山の名前でも冒頭にでてくるのでしょうかねえ?


 最初に出版したのは富山の地方出版社、桂書房ですが、初版はわずか2500部だった。その出版社のブログ「千の縁結物語」だ。現在も2006年3月に発行された『定本納棺夫日記』(1,500円)として引き続きロングセラーを続けている、とのこと。

http://blog.auone.jp/enmusubito/entry/detail/?EP=27241529

桂書房ホームページ
http://www.katsurabook.com/

青木新門さんのプロフィール

青木新門 (アオキシンモン)

1937年富山県(下新川郡入善町荒又)生まれ
早稲田大学中退後、富山市で飲食店「すからべ」を経営する傍ら文学を志す。吉村昭氏の推挙で「文学者」に短編小説「柿の炎」が載るが、店が倒産。
1973年冠婚葬祭会社(現オークス)に入社。
専務取締役を経て、現在非常勤監査役1993年葬式の現場の体験を「納棺夫日記」として著しベストセラーとなり全国的に注目される
著書に「納棺夫日記」小説「柿の炎」詩集「雪道」童話「つららの坊や」随筆集「木漏れ日の風景」など
なお、「納棺夫日記」は「おくりびと」と改題され映画化されている
現在は主に、著述と講演活動。日本文藝家協会会員。

青木新門さんホームページ
http://www5a.biglobe.ne.jp/~shinmon/


 この本を読んで違うのは、青木さんの納棺夫となった経緯と、経歴だ。そして差別問題の深刻さ。

1. 映画ではチェロ奏者となっていた。そして解雇になってふるさと山形県庄内市に帰って職探しで知らずに、納棺会社を訪れる。

 しかし、準原作では、大学で上京中に母親が調子が悪くなりふるさと富山県へ帰る。そして中退してしまう。母親がやっていた飲み屋の店を手伝うが、やがて自分でパブ喫茶を開き、8年間経営する。
 ところが、丼勘定で運営して大きな負債を抱えてつぶれ、生活にいき詰まり子供の粉ミルクも買えない。夫婦ゲンカで妻が投げつけた新聞の募集広告「冠婚葬祭互助会 社員募集」に目がとまり応募する。

2. 差別は映画でもあったではないかと言われそうだが、その深刻さが違う。結局、準原作では火葬場、焼き場の人も含めてもっとも最底辺なのだ。奥さんに「触らないで汚らわしい」と言われるのは、映画でも出てくる。しかし辞めろと言われ父方の叔父さんにも義絶される。
 この叔父さんへは、迷いながらもご本人の瀕死の病床に駆けつけて「ありがとう」と言われ、心の溝が溶けていった。

3. 青木さんの本では、第3章「いのちとひかり」で、死を巡る人々の意識と、命と宇宙と人間存在、そして親鸞の思想について、思索する。「ひかり」こそが人間のいのち、宇宙を照らし真実を与えるものだということに気づく。 そして、死体の蛆にも、群れ飛ぶ卵をもつトンボにも生の光を見る。青木さんは死を見つめ、生死を分けられないものと見るようになる。

4. 青木新門さんは、1937年富山県生まれ。4歳の時、両親と共に満州に渡り、敗戦時に8歳。父親はシベリアの前線へ行き戻らない。引き上げを待つ難民収容所で、母親は腸チフスで半死状態。中国で生まれた弟、妹は次々と死んでいった。青木さんがまだ幼子なのに、弟妹の死骸を背負い死体の野焼きの上に置いてきたのだ。
 作家、高史明さんが解説「光の溢れる書『納棺夫日記』に覚える喜び」で、この原体験と青木さんが死をとおして達した深みにふれている。

 私は思う。人間は必ず死ぬ。しかし、敗戦後は、死を嫌い、生のみに執着するようになる。すべての文化と生活がそう塗りつぶされる。そして死を直接触れ取り扱う者はこの本には出てこないが、江戸時代も、今も忌み嫌われる。
 しかし、青木さんは死を見つめ、生を特別なものとはとらえない。

 実は、この映画が受け入れられるのは、厳しい格差社会の時代で、生命を考えるようになったからではないか。

 古代の縄文時代は、東北の遺跡では、集落の入り口から族長の墓が、先代から順番にずっと螺旋状に村の中側まで墓が建っている。村は死者と共に暮らしている。また別の住居遺跡でも床下から子供の墓が発見されている。幼くして死んだ子と共に生活していたのだ。
 こういう世界では死と生は別の訳がない。
 死が忌み嫌われない社会とは何だろうか。それが認められる社会とは何か。
 それは、物欲と金融利益追求に明け暮れる社会では少なくともない。この映画がヒットしたのはそれらへの拒絶なのか。

 映画「おくりびと」が大ヒットするような、どうかこの動きがつまらない精神社会商売に消費されないように祈る。私たち人は地球とこの宇宙の中で多くの生命と共に歩み進化してきた。人は社会と産業を作る中で、富を偏在させ、格差を生み、争い、戦争をするようになった。たしかにこんなことが起こるのは社会の仕組みが悪いとはよく聞く。

 でも社会進化も人間のあり方の一つだ。社会進化としても、ぜひ人間の精神の一つの深い段階を下ったところにいきたい。そして社会のあり方でも平和な社会が築けないだろうか。またそれはいけると思うのだ。
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【2009/02/25 02:30】 | 映画
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