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 「朝日ジャーナル創刊50年怒りの復活」号がとても売れている。私も買ったが今の格差と貧困の時代にはこれしか対応できないという雑誌ではないか。とても求められているのだ。

 月刊「現代」をはじめとして多くの雑誌が休刊した。それは時代への怒りがなかったせいなのだろうか。

 特に湯浅誠の一日や、生い立ちを追ったものはなぜ他の雑誌がしないのか不思議に思っていた。

 「社会的コスト」という言葉を躊躇なく使い、政策論を語れる湯浅は確かに稀有な存在だ。「反貧困ネットワーク」代表の弁護士、宇都宮健児は、「実践に裏打ちされた政策提言をする彼みたいな人物が、本来は理想的な活動家で旧左翼型活動では何も変わらないし、実際に何も変えられなかった。」と評する。
 一方その器用さゆえの危惧を持つのが親友の王寺だ。
「今までの活動家のように、政治家に祭り上げられ、権力側に回収されないか不安です。」
 湯浅本人は、「僕は是々非々で、与党にも野党にも提言していきたいから政治家にはなりませんよ」と一笑に付す。



 これは、重要な指摘と事実で、確かに政策力を持たずに感情と情緒だけで切りまわしていたのが旧来の左翼活動で、あまりに限界があり情報戦にも弱くてどうしょうもないことが、これまでの歴史が証明したのではないか。
 それと湯浅誠を政治家にしたいと旧左翼的な感覚で言っている人たちへの回答ではないか。

 復刊「朝日ジャーナル」は論評が豊かである。斎藤貴男さんが書いたように「貧困を生み拡大した構造改革の熱狂的支持者は有権者だった!?」のように刺激的な文章も載ってる。でもこれは新聞記者の本多勝一も80年代にぶつかったように「すべての人民は人民の敵で処分されるべきか」ということなのだ。
 大衆は時代をかぎ分け切り開く大知を持っていても、やはり権力者やマスゴミに揺れ動く存在である。そこから出発して国民大衆が時代を変えていかねばならないのだ。

雨宮処凛さんとフリーター全般労組の3人が対談して、プレカリアートと状況を語った記事は新鮮ですべての人へと広がる力を持っている。プレカリアートの運動は「あなたは生きていていいんだよ」、「無条件の生存の肯定」だという。すばらしい。

 こういう雑誌と書くジャーナリストと専門家が必要なのだ。でも本格復刊しても朝日新聞社が耐えられ、本当に売れ続けるのかだ。それはわからない。でも今回は世の中に必要だから売れている。

 記者たちよ、専門家たちよ、もっと本当のことを書け、発言しろと言いたい。その意欲すらも今無いのでは。
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【2009/04/29 16:30】 | 奈良たかし・本の話
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 中川昭一元大臣の問題で新聞記者がコンパニオン化して、男性記者は政治家官僚との宴会と外遊時の随行で豪遊旅行して癒着しきっていることが明らかになってきた。
 もちろんこれは東京の問題であり、地方にとってはぴんとこないという方もいらっしゃるだろう。だがこれは地域の問題とコインの両面のようにくっついている。それで地方の新聞記者と新聞の問題を書いてみたい。これは知られてはいないが、どこの地方でも同様のことが起こったのだと思う。

 奈良では過去の新聞記者は、少しは地域とつながっていた。奈良という地域は朝日新聞が圧倒的なシェアを誇っていた。今はどうなったか、縮小してシェアは同率かも。

 基本的に新聞記者は各地地方勤務は3年で、中には2年と早い人もいる。そして新聞社の用意したマンションに住んでいた。しかし転勤での交代のときでも、記者はお互いライバルということで、案件や地域とのつながりなどまるで引継をしない習慣なのだ。それでは地域のことは何もわからないのではと思うだろう。そうだ。現在は少なくともそうだ。まあこれは後記する。しかし過去にはそれを乗り越えて地域関係を作っていたのだ。

 だから市民運動や地域住民は、新聞記者とつながりをもっていた。確かに集会にも来ない。電話取材だったりする。でもある程度リベラルな人ばかりで付き合いやすかったのだ。そして様々の情報が新聞記者に集まった。

 新聞記者の夜は遅い。ところが地域のポイントになるような飲食店に行くとそこで晩飯と酒を飲んでいた。そうして人脈を作っていくのだ。

 その中でも朝日新聞はもっとも地域との縁が薄い。なかなか載らなかった。なにしろ記者会見にいっても載せないことも多いのだ。朝日の人でほんの変わり者のみが、例えば街づくりの会などに地域のサロンになっていて意見交換や情報などが得られると参加していた。でもそれは例外だった。逆に新聞全体の姿勢とはあまりに違うが、産経新聞のほうが地域や市民活動取材には熱心だったりした。


 ところが10数年ほど前から記者の態度が変わり、地域の問題がなかなか載らなくなってきた。どうも朝日新聞化(!)したのだ。そしてとうの朝日はもっと地域の問題がかけらも載らなくなった。開発や問題のある規制解除など起こっているのに記者は何をしているのかと思うくらいだ。おそらくまったく取材に行かなくなったのではないか。当然先に書いたような人脈作りもできなくなったように思う。

 このころゴミの問題などが、10年前に起こってきた。しかしなにも記者に縁がなく地域情報が載らない状態だった私たち市民運動側は個人的な縁を頼って大阪本社の記者に書いてもらった。
そうすると朝日新聞の奈良県記者クラブの記者が烈火のごとく怒りもう私たちの情報など載せないとわめきまわったというのだ。いや縄張り根性というやつらしい。でもほとんど付き合いが無くなり地域の問題情報も載せなくなった原因は朝日奈良支局・クラブの記者側のせいなのだ。それを私たちを隷属する者のごとき扱いをするとは何事だろう。

 もともとほとんど載っていなかったし、ゴミ問題での朝日新聞と私たちはお互い相手にしなくなった。他の新聞は必要な時は記者会見など行った。

 その後、5年前「無防備都市宣言」条例制定の運動を起こした。これは2万人6千人近くの署名を集めた大きな運動となった。集める人たちの広がりと情報交換は、ビラをまき、そこにURLを載せて、もっぱらホームページを使っていた。ただそれだけでは地域全体の人々にやっていることがわからないので記者会見や記者クラブへFAXなどで情報を送った。もはや付随的な扱いだった。しかもこのころから新聞は目に見えて部数を減らし始めたのだ。

 そして現在、相変わらず新聞記者は取材をしない。これは地域で出会わないことでわかる。地域の人々とのネットワークを作らないだけではない。そのうえ役所にも取材に行かなくなったようだ。昔はもっといろいろ取材に来ていたそうだ。取材して自分で切り開いていたのだ。これだけネットワークを自分で作れないのなら、引き継ぎをしないことがネックなら組織として習慣を改めたらいい。しかし、そういう声も出ないようだ。むしろ地域の問題点や情報を集めるという、問題意識とやる気がなくなったのでは。

 つまりは記者クラブでの行政や企業の広報に頼り切っているということだ。これでは人との役所の下部の人とか付き合いがなくなり、直接的なリークや耳打ちなどしてくれなくなる。組織の上からの都合のいい情報しか来なくなる。ここにも記者失格と思う状態がある。

 東京の政治家官僚との酒宴と海外豪遊とコンパニオンとはちがうが、いずれも権力ある者から与えられる情報のみに頼り切り、人々のほうを向いてないということは共通している。

 フリーライターの上杉隆氏が『ジャーナリズム崩壊』(幻冬舎新書)で提案しているが、新聞記者は新規採用からしか取らないということはやめたほうがいいのでは。とにかくひよわ過ぎる。米国紙のように色が付いていてもいい。プロとして情報を集め、そして切り込む、そういういろんな分野からの中途採用を基本にするべきではないか。

 これ以上部数が減ったら地域の取材体制も崩壊してしまう。しかしこれだけ地域取材しない記者よりは、通信社に任せて取材してもらったほうがましではないかとしみじみ思ってしまう。

 そして数を絞った新聞記者はより深い問題追及を行うのだ。しかし、今の記者にそれができるだろうか。とは思ってしまう。

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【2009/02/23 20:17】 | 戦争と平和
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 すでに紹介しましたが18日の毎日新聞で、
「中川氏は、女性記者らとの会食について「たまたまそこにいて、話を聞かれたから」と説明したが、中川氏は昨年9月の財務相就任以降、G7などの海外出張では同行の女性記者を集めて飲食を行うことが恒例化していた。」とまで書かれました。

 新聞記者は、政治部記者を中心として官僚や政治家とべったりと交友して酒を飲むことが仕事になっています。それで情報をいただくのです。当然権力の追及などできず番犬のようになってしまう。朝日新聞がこのごろひどくて、社説でも記事でも新自由主義と消費税アップの先頭に立っています。でも他の新聞もやっています。中川昭一元大臣のときも一緒に酒を飲むために行ったのでしょうか。何のための新聞記者という仕事でしょうか。権力批判がなければジャーナリズムは終わりです。

 この中川昭一前大臣と懇談した女性記者は3人で、その会社は、読売新聞社、日本テレビ、ブルームバーグです。

 「村上春樹イスラエル批判講演と中川失態報道」-「団藤保晴の「インターネットで読み解く!」」 から
http://dandoweb.com/backno/20090219.htm

 公共性があるので読売新聞記者の名前も出します。読売経済部の記者、越前谷知子(えちぜんや ともこ)さんです。彼女は中川氏がローマに到着した夜にホテルで開いた懇談会にも出席し、連日です。他の日本テレビのHさんや、ブルームバーグのSさんは確証がとれません。
「二階堂ドットコム」より
http://www.nikaidou.com/2009/02/post_2349.php 

 いま、読売新聞はこの件で急速な情報隠しをやっています。

 まず、このときの懇談で酒を飲んだかということに、読売新聞は「女性記者は出席していたが、酒を飲んだかどうか見ていない」、という内容の報道をしました。しかしどうみても逃げであって嘘でしょう。さらにこの記事はネット上にはありません。

 そして、読売新聞東京本社広報部は、女性記者の食事への参加を「取材の一環」とした上で「記者によると、14日の昼食はあわただしく、ボーイがグラスにワインを注いだ」「記者は携帯電話に原稿の問い合わせの電話がかかり、数回にわたり席を外し、中川氏がワインを飲んだところは見ていない。記者はグラスに口をつけていない」と回答しています。

 下記の記事は、この懇談会を詳細に描いてますが、中川氏が「担当の中でもお気に入り」(永田町関係者)」としていてこれでは、やはり酒を飲むためにイタリアに行ったとしか思えません。
日刊スポーツ
http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp3-20090220-462833.html

 いったい何のために同行しているのです。現場にいて嘘を書く。あるいは書かせる。何のための新聞なのでしょう。権力の太鼓持ちのためにいるのでしょうか。
 そして越前谷知子記者の顔写真の掲載された記事をネット上から消し、そのキャッシュまで写真を消させました。それが下記の記事のキャッシュです。これも表示期間は短いのでやがては消えます。
このレポートと現実にやっていることとはなんという違いだろうと絶句します。

 2007年の読売新聞


「"働く"を考える大学生のためのLET'S」「活躍中の現役社会人直撃レポート」

「自分の書いた記事が読者に届くことで、誰かが変わったり、何かが動き出したりする。これが新聞記者の醍醐味」と語る越前谷記者。
“継続は力なり”という言葉を信じ、日本経済の最前線を取材する日々。
http://72.14.235.132/search?q
=cache:http://www.weblets.jp/
interview2007/21.html

--就活は社会へ出る前の大切な勉強だった
私が本格的に就職活動を始めたのは、年が明けた大学3年生の冬でした。自分に何が向いているのかわからなかった私は、できるだけいろいろな業種の方にお会いしようと考え、マスコミ、金融、メーカー、商社、IT企業などの会社説明会に参加しながら、OB・OG訪問も積極的に行いました。今振り返れば、私にはやはり取材が性に合っていたのでしょう、さまざまな職業の方にお会いして話を聞く、そのこと自体を楽しみながら、各業界のことを学んでいったように思います。

大学生の皆さんも、就活は社会へ出る前の勉強だと考え、少し肩の力を抜いて臨むと、自分らしさが出せるのではないでしょうか。私の場合、読売新聞の面接ではリラックスして話すことができ、この会社にすんなり入れる予感がしていたのです。これが「ご縁」というものなのでしょう。そんな感覚的なものも、何かを決断する時には大事なのかなと思います。

--考える前に走り出していた新人時代
新人記者の私が赴任したのは栃木県の宇都宮支局。警察署を担当しながら、パトカーや消防車のサイレンに即座に反応し、事件や事故の現場へ駆けつけていました。激しい雨が降っていたある日、あまりに気がせいていた私は傘も差さずに火災現場へ飛び出し、カメラをずぶ濡れにしてしまったのです。燃え盛る炎を前にシャッターは1度も下りてくれず…。デスクは“怒る”を通り越して呆れていましたね(笑)。あれこれ考える前に走り出していた、そんな新人時代の思い出です。

決定的な一瞬を切り取る難しさに手が震えた高校野球地区大会の写真撮影、子供たちの心の闇に向き合った少年犯罪の取材、古来の祭りや農作物の収穫を通した心温まるふれあいなど、赴任中の5年間に県内を取材し尽くした私にとって、栃木は第2の故郷と思えるほど愛しいものになっていました。

--私のモットーは「継続は力なり」
壁にぶつかったり、仕事で悩んだりすることは、社会人なら誰もが経験すると思います。私自身を振り返っても、会社を辞めようと思ったことは1度や2度ではありません。悔し涙を流した時もありました。でも、これまで新聞記者を続けることができたのは、「継続は力なり」という言葉を信じて仕事に向き合ってきたからです。そして、仕事と家庭を両立させる立場になった今思うことは、やりたいことは欲張る!諦めない!細く長くでいいから歩き続けるのが大切だということなのです。大学生の皆さんも欲張って、諦めずに、やりたいことにチャレンジしていってほしいと思います。

--”働く”とは社会と関わっていくこと
私にとって”働く”とは、いかに社会と関わりをもっていくかということであり、その関わりを実感できる瞬間が多くあるから、新聞記者として働いているのだと思います。

私は現在、東京本社の経済部に所属し、流通業界を担当する経済記者として取材に飛び回っています。皆さんはこれから新聞の経済欄を読む機会が増えるのではないでしょうか。読売新聞の経済欄には、難しい内容をわかりやすくまとめた解説記事があり、その辺から読んで頂くと日本経済の動向が理解しやすいと思います。約70名の経済記者たちがわかりやすさを追求して書いていますから、ぜひ、参考にしてください。

編集局経済部 記者
越前谷 知子氏

1996年入社。入社後、宇都宮支局で5年余勤務したのち、東京本社の地方部編成を経て経済部へ異動。現在は、百貨店やスーパーマーケット、コンビニエンスストアなどの流通業界を担当し、取材に飛び回っている。



 でも隠されると見たくなる少し下品な心理が働くので、まだ残っているかも。
http://images.google.co.jp/
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=%E8%B6%8A%E5%89%8D%E8%B0%B7%E7%9F%A5%E5%AD%90&um=1&ie
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【2009/02/21 12:15】 | 政治・経済
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