上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

 社民党を離党した辻元清美衆議院議員だが、下記の事実認識と行動にとても共感する部分があった。

 何か国土交通副大臣をやったことで官僚に取り込まれたとか、権力志向になって離党したとか悪口を書かれている方もいるが、そういうことではなさそうだ。

「中島岳志さん×辻元清美さん ニッポンの「明日の政治を語ろう」(その10 最終回 今こそが「改憲」最大の危機)│マガ9対談 #10」から
http://www.magazine9.jp/taidan/010/index10.php

辻元  今の改憲論は、例えばイラクでも給水活動だけじゃなくて、集団的自衛権を認めたイギリスのようにアメリカと一緒に前線まで行けるようにしたいとか、そういう方向性なんだよね。

 そして、かつての自民党政権時代より民主党中心の政権ができた今のほうが、憲法9条や安全保障については非常に危険な政治状況になっていると思う。というのは、自民党政権時代は、自民党がどんなに過激なことを言ったとしても、対抗勢力としての民主党を中心とした野党は、それにアンチだったから。特に、一番改憲が遠ざかったのは安倍政権のときでしょう。憲法99条「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」(条文ブログ追加)
の解釈すら変えかねない危機感があった。「憲法は国民への命令だ」みたいな憲法観を持ち出す人まで出てきて、自民党の改憲派のドンと言われていた山崎拓さんまでもが「危ない」と言い出した。実は「憲法を守りたい」という人にとってはいい状況だったんじゃないかと思うのね。

 ところが今は、民主党が改憲案みたいなものを出したら、自民党はすぐ乗るでしょう。そうすると、大政翼賛会的に、十分な議論もされずに一挙に改憲まで行ってしまう可能性がある。社民党が連立政権の中にいれば、民主党が一方的にそういう流れをつくるのを止める歯止めになれるんじゃないかとも思っていたんですが。非常に危機感を持っています。

中島  いま日本がアメリカの戦争に「お付き合い」することを防ぐには、逆説的だけど憲法9条を使うしかないと思うんですね。つまり、日本の主権を守るためには、当面は9条を維持しておいて、「いや、うちの国はこういう憲法があるのでお付き合いできません」という断り方をするしかない。今はそういう、ぎりぎりの状況なんですよね。

 しかし、おっしゃるとおり憲法改正の問題は今、民主党の意思次第という状況なので、本来は日米安保をどうするのかということとセットできちんと議論をしてもらわないといけないんですが…そこで重要になるのが憲法の理念の問題だと思います。

 理念というものは二重構造だと僕は思うんですね。カントがいう「統整的理念」と「構成的理念」です。前者は、人類がどうやっても到達することのできない、ある種の恒久的な理想みたいなもの。おそらく絶対平和とか世界統一とかがそれに当たるでしょう。後者はもっと現実の理念で、例えば今ならもうちょっとセーフティネットを整えようとか、八ッ場ダムの問題をなんとかしようとか、そういうものです。そしてカントは「統整的理念のない状態では、構成的理念は理念として成立しない」と言っているんですね。人間は統整的理念にはどうやっても到達しないけれども、そこを目標にしながら構成的理念を整えていく、その二重性が非常に重要なんだと思うんです。

 ところがこれもまた、今の政界で力を持っている「松下政経塾的」な政治の中では理解されない。統整的理念なんて、現実不可能などうでもいいイデオロギーだと思われていて、目先のことだけにとらわれている。結果として自分が「ぶれている」ことにみんな気づいていない。そんな印象が、特に政権交代後、ずっと続いているんです。

辻元  一方で、その「統整的理念」を言っている人たちも、それしか言っていないみたいなところがあって、その両方をつなぐ回路がないように感じる。政権交代して、「新しい公共」に代表されるような新しい芽が出てきて、それが永田町の中だけじゃなく社会全体に広がってきた、そういう部分もたしかにあるんだけど…。

 尖閣諸島をめぐる現在の状況も、そういうところが出た結果じゃないかな。どこの国にも、いわゆる国境地帯のトラブルをどう処理するかという知恵みたいなものがあって、日本も今まではすぐ追い返すなりなんなり、ある程度歴史的な知恵の積み重ねで処理していたわけでしょう。ところが、今回はそうじゃない判断をしてしまった。言ってみれば、今おっしゃった「統整的理念」がなく、現場だけを見て対応してしまっている、その積み重ねでこういう緊張状態になってしまっているんじゃないかなと思う。

 最近は実際に戦争を知っている世代の政治家が去ってしまったこともあって、「健全な保守」という存在が政治の世界にいなくなってきた。紛争処理についても、トータルに物事を見て押すところは押す、引くところは引くという形で裁ける人がいない。今回の尖閣の問題でそういう危機感をまた持ったし、私たちがそういう力をしっかり持てるようにならないとあかんなと思いました。

編集部  社民党をはじめとする護憲リベラル、社民主義の勢力も、今とても小さくなってしまっていますから、その意味でも辻元さんに期待するところは大きいと思います。

辻元  そのためにも私は変わらなきゃいけないと思ったんだよね。守るというか、発展させて、新しい土俵が作れないかと。既存勢力だけにしがみついていたら、社民主義も護憲も守れない、一緒に滅びるしかないというくらい危機感を持ったんですよ。
 批判を浴びて泥をかぶっても現実から逃げたらアカン、そうしないと本当の政治家にはなれないと腹をくくったの。そこでまずはひとりから始めようと思ったんです。ピースボートを始めたときの自分に戻って。
 もしかしたら私は政治家として転落していくかもしれない。でも3年後の自分がより社会の役に立てる政治家になれるよう、照準を合わせた選択だからね。

中島  そのためにも、最初にお話ししたような、新しい結びつきをいろいろつくって。

辻元  うん。いまはあちこちにアメーバのように入り込んで、コツコツ仕事を積み重ねています。これが無所属議員のいいところで、誰とでも仕事ができる。で、一緒に仕事をしてみるとお互いのことがよくわかる。



 菅直人首相がやっていることは政権交代を無視した民主党による自民党の政治への復古だし、それに対し国民は反発はしている。しかし、新防衛大綱のようにマスコミもその中身を十分に報じない中でどんどん通っていく。読売新聞社主のナベツネさんがやりたい大連立は改憲をねらったものだ。しかし、それが自民党と民主党の対立で、いまはできなくても、民主党の動向次第で国民が傍観していれば改憲はできてしまう。そういう恐るべき状態にある。
 私たちができるのは、できるかぎり、改憲への道筋を遮断することだ。

 なお、米国政府は共同出兵するために以前改憲を許容している。

 そして、なにより悲しいのは、菅直人首相は市民運動から出てきた政治家だということだ。私たち市民運動は、あまりに情緒的な単一目標と行動で社会全体に広げるような認識の枠組みがあまりに不足している。また社会全体を解析するような知的武器も理論も持っていない。
 それが、いったん権力に近付くとこれだけ歯止めなく堕落が始まる原因ではないか。

 市民運動はその枠組みとして、平和、民主主義、平等追求など重要な柱を持っている。しかし、日本の市民運動が、基地問題や東京都杉並からの核兵器反対運動から始まったように反権力であっても欧米のような、政府をどう作り参加していくのかという重要な部分はほとんど欠落している。あくまで権力は確固として自分たちとは別個のものとして強固に存在し、市民運動はそれに抑圧される側であり、政府権力に反対だけしていればいいのだ。そういういかにも素朴な市民運動の中の意識がある。

 社会変革や政府をどう作るか、政治家をどう選び育て支えていくか。政党をどう作って変えていくか。すべてほとんど手がつけられていない。

 辻元清美はピースボート創立者の一人であり、もし、辻元が堕落しているとしたら、菅直人に続いて市民運動の大きな蹉跌として、これまでの市民運動の歴史がここで終わるほどの大きな打撃があったのではないだろうか。

 彼女の理論的な枠組みは社会民主主義で何人かの人と論議するなかで鍛えられてきた。社会民主主義も今後ありうるべき変革への枠組みの中で大きな部分を占めるだろう。

 市民運動や政治ブロガーの中にも、彼女を揶揄しかできない人は多い。
 政治は汚いものだという運動からの清潔感で、政治家として動き存在する彼女を何となく気に入らないだけではないか。政治と運動、市民運動をどう考えているのだろう。何も考えていないのではないか。

 そんな幼稚なことでいいのだろうか。私たちは政治と自治体と政府を作り参加し育てるべき存在なのだ。それをもう一度しっかりと認識すべきだ。
スポンサーサイト

FC2blog テーマ:民主党・菅直人政権 - ジャンル:政治・経済

【2011/02/06 11:26】 | 政治・経済
トラックバック(0) |  ]
 幸福の科学のことは、1991年の講談社のフライデーの教祖大川隆法と教団の記事でもめたことで知った。
 このとき講談社へはFAXがまず次々と送られてくる抗議文で紙が無くなってしまう。そして「講談社フライデー全国被害者の会」(会長・景山民夫、副会長・小川知子)を結成して景山が広告塔として活動し、そして女優小川知子を先頭にヒステリックな社屋前での抗議運動、そしてシュプレヒコール。これで小川知子は女優としてほとんど終わってしまった。
 その後は名誉毀損で裁判に持ち込んだが2002年1月18日最高裁で掲載に公益性があると敗訴している。それは当り前で記事の内容は、幸福の科学側が気に入らなくても公益性のある事実だったからだ。反社会的なカルトとしての性格をあらわにした事件だったと思う。

 「幸福の科学」が、政党を設立して300小選挙区での候補擁立で総選挙に臨む。241人当選を目指すとのことだ。

 これでまず思ったのは、森田健作氏のこと。週刊現代の記事では以前から幸福の科学の応援を受けて、入信していたようだ。そして5月27日の知事記者会見では、3月の知事選に際し宗教法人「幸福の科学」(東京、大川隆法総裁)から支援を受けていたことを明らかにした。

 幸福の科学出版『ザ・リバティ』2009年6月号には、「貧すれば鈍した?『森田知事』告発者たちの“正体”」と言う記事が掲載され、「森田健作氏を告発する会」を攻撃した。あからさまなねつ造記事だが、森田知事の「完全無所属」については徹底して「問題なし」と擁護する一方、当会世話人メンバー吉川県議、大野県議、井代表については、いかにも怪しげな「左翼活動家」と描きあげる。これで電車の中吊りにまで広告された。
 自民党どころか、幸福の科学にまで応援されている。こんな形はおかしいだろう。

 週刊現代が、5月8日号に幸福の科学と森田健作氏との関係について掲載したとき少し書くのをためらった。それは自民党の政治家が形だけのつきあいで票をもらっていることを知っていたからだ。

 しかし、「幸福の科学」は、危険なカルトで、それが政治に乗り出してくることですべての民主主義の基本を破壊してしまう。これはきわめて危険なことなのだ。
 だいたい、大川隆法はもともと、改憲・再軍備・周辺国侵略(大東亜共栄圏実現)を主張する、国粋的な民族主義・侵略主義の人間だ。そして新著『幸福実現党宣言』でも第9条(戦争放棄)、第20条(信教の自由)等、憲法のなかの「改正すべき数多くの矛盾点」を書いて改憲を主張している。
 それに支援された森田健作も本当におかしい。「幸福の科学」の政治戦略の一環として森田健作を支援し両者は癒着しているといってよい。

 Wikipediaから、

日本で一般に説明される「カルト」とは少数であっても熱烈な信者が存在するような宗教的団体を指す。カルト教団、カルト宗教ともいう。教祖が絶対的な権威を持つカリスマであり、その教義に排他的な所や反社会的な内容があることが多い。また、教え自体が、教祖の宗教的な信念に基づく思想ではなく、経済的搾取等の自己の欲望のために信者を利用するための表向きの看板に過ぎないことも多い。

日本の各教団のその誘訪方法はほぼ同じで、まず美辞麗句で誘い、詳細を知らせず入信させ、実践させていくことで精神を変えてしまう、というもの。そして「辞めたら不幸になる」と脅される。」



 改めて考えてほしいのは、このように宗教団体が政治に介入し乗り込んでくるのは、憲法政教分離の原則への違反で憲法への挑戦だということだ。その意味で公明党と創価学会もおかしい。彼らが見過ごされていることで、政教分離の原則がおかしくなるのだ。しかも大川隆法は先に紹介したように著書『幸福実現党宣言』まで出して教祖自らが政党を主導している。完全な憲法無視である。

 フランスの下院がカルトについてまとめた「報告書」の定義は通常の宗教か、セクト(カルト)か」を判定する国際的な指針の一つとされている。この報告書は、調査委員会の委員長の名前を取って『アラン・ジュスト報告書』ともよばれている。

セクトの本質を「新しい形の全体主義」と定義した上で、「セクト構成要件の10項目」を定義した。

●精神の不安定化
●法外な金銭的要求
●住み慣れた生活環境からの断絶
●肉体的保全の損傷
●子供の囲い込み
●反社会的な言説
●公秩序の攪乱
●裁判沙汰の多さ
●従来の経済回路からの逸脱
●公権力への浸透の試み


そして、国民に警戒を呼びかけている。
 カルトの危険性は、その豊富な資金力で権力に浸透し国家を乗っ取りかねないところにある。

 「幸福の科学」政界進出は、きわめて危険であり警戒すべきで軽く見てはならない。

 1議席も与えてはならない。1議席でも取れば、それを基盤にして全国的に活動を始める。

 創価学会・公明党も併せて、憲法違反として政治活動を規制すべきである。

 そのきっかけとなった森田健作はただちに反省して「幸福の科学」と絶縁すべきである。

 そしてなることなら森田健作氏も辞職していただきたい。

【2009/06/03 11:30】 | 政治・経済
トラックバック(6) |  ]
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。