前編が素晴らしかったので後篇は実は不安を覚えていたが、やはり前編の力を維持できなかった。脚本を省略しすぎて、かなり長い、のだめのデビューからなぜ千秋から一度離れたが、再び音楽に向き合い千秋の元に戻ったかが、もう一つ映画からは理解できない結果になったのだ。

 のだめは19世紀的な自由を求める音楽家であり、今のクラシックの型にはめられた世界がどうしても合わない。しかし、千秋との共演という小さな目標だけを求めてピアノの勉強をずっとしてきた。

 しかし、ある意味でのライバルである孫ルイと千秋のすばらしいピアノ協奏曲を聞いて自信を失う。それで音楽に向き合う姿勢を失い千秋との結婚を望む。ところが、千秋は追いかけられれば逃げるというタイプであり、それにのだめが音楽から離れることを無意識に感じたのか、冗談だと思いこもうとして逃げ腰となる。

 そこで、シュトレーゼマンが登場。初期にきいて以来だが、進化したのだめのピアノを今回聴いて完成まじかであることを知り、のだめと千秋との間が壊れれば、このままではだめだとまず第一段階となる完成は自分の手でしてあげようとピアノ協奏曲の依頼をする。結果としてはこれは大成功に終わり、世界的なピアニストとして有名になる。

 しかし、のだめは千秋とデビューできず、しかも一応の完成を見たのでこれ以上できないと音楽への意思を失ってしまい、逃避して出国。あちこちをさまよう。

 しかし、コンセルバトワールの、のだめの教官であるシャルル・オクレールは、のだめが現在の音楽界で異種の存在であり、初期のデビュー後に投げ出す可能性を見抜き、もう少し時間をかけコンクールに今回出すことでのだめの道を固めていこうとしていたので、突然の介入に、シュトレーゼマンへ怒り、後は誰も何もできず、のだめ自身にまかせるしかないという。
 そのころ、千秋はのだめがいなくなったことを聞いて大混乱になり、対立していた父親に相談する。
「これ以上のことはできない」と思うことはよくあり、やがて切り替えができるが中にはそのままになり消えてしまう人もいる、と知る。結局は本人に任せる以外ないことを悟る。そして千秋にとってのだめがいかに大事で未来を共に歩む存在であることがわかる。

 のだめは、エジプトで動画サイトで見たという欧米の若者から絶賛を受けて励まされ、それを聞いていた旅行者にも「人をあれだけ感動させることができるなんてすばらしい」と言われ、音楽の道はもういいと思っていたが、帰る気持ちになる。

 アパートに帰ったのだめは、作曲科のヤドウィンと話し打楽器を合奏して、彼女が作曲して自由に演奏する姿を見て音楽に対する姿勢を取り戻していく。それに合わせて、のだめは第一志望だった幼稚園の先生の疑似体験である子供を私的預かり保育をするが、のだめ作曲の曲自体のアレンジも認めるという話で、
「のだめはいいデス。自分も人の曲をよくアレンジしちゃうし。学校で……クラシックでそれやるからよく怒られましたけど。昔からずっといつも」
ヤドウィンに「のだめはだから窮屈なんだ?
 18世紀みたいに作曲家が演奏者だったり、即興演奏も普通だった時代とか、モーツァルトやベートーベンの頃ね。演奏者の主観的な解釈や編曲が受け入れられていた19世紀の終わり頃だったらのだめはよかったのかもね。レコードやCDなんかもなかったからお客さんもその時々の演奏ライブを楽しんでたし」
 ここでのだめの欲求不満が炸裂して「そーですヨ!なんで今はこんなに窮屈なんですかね!勝手にこうだって決めつけたり。評論とかもいろいろ頭にくるんですヨ!!」

 千秋はブラジルでの仕事のうち、情熱的な雰囲気にそまる中で、のだめのプロポーズを受けることを決意する。

 のだめは保育でお遊戯でピアノを弾いているうちに自分のクラシック演奏をしてしまう。結局は音楽からは離れられないことが分かる。

 千秋が駆け付け、ピアノ協奏曲を一緒にやろうと申し入れる。だがのだめは最初の壁が越えられず、「いやデス!」と思わず断る。愕然とする千秋に「コンチェルトはもうミルヒーとやったし、てゆうか、あれ以上の演奏……先輩となんかできるわけない」

 千秋は「断定かよ!?おいっ」と叫ぶ。

のだめは苦しみながら、「怖いんです。自分だってあれ以上弾ける気がしないのに、一番大事な先輩との共演が、もしだめだったらって思うと……」「先輩のことも好きじゃいられなくなりそうで」

 ほとんど崖っぷちに立っているかのような発言に千秋は、のだめを引っ張って外へと連れ出す。そして二人の原点になったモーツァルトの「2台のピアノのためのソナタ」を弾こうと提案する。
 
「こんなことやって何の意味が」と激しくためらうのだめに、
「やってみなけりゃわからないだろう」と答える千秋。

千秋は思う。
”例えば、天気一つで音が変わってしまうように、小さなことがそのこと全てを変えてしまうことがある。オレたちの始まりだって、ゴミの部屋で聴いたベートーヴェンで、小さな練習室でやった2台のピアノのモーツァルトだっただろう。いくら苦しくても、気が遠くなるほどの孤独な戦いが待っていようと、こんな喜びがあるから何度でも立ち向かおうと思えるんだ”

 やはりのだめは最後に崩壊暴走してうまくいかない。しかし、のだめは原点に戻り千秋とやっていこうと決意する。
最初に千秋のことを思った言葉を口にする。「先輩の背中……、飛びつきたくてドキドキ。これってフォーリンラブですか。」
 そして二人は抱き合う。

 のだめは休んでいたコンセルバトワールに復学し、オクレール先生の指導のもと9月の追試を受けることになる。
 元のアパートからごみの袋を持ち出てくる千秋。住民から冷やかされてでも「別れてなかったんだね、よかったよかった」と祝福される。
(映画は、これからも次々と高いところを目指すよで終わる。)
 でも千秋は思う。のだめに「先輩のことも好きじゃいられなくなりそうで」と言われた時、あれは一度……事実上別れて(振られて)いた気がする、と。

 のだめは思う。といっても作者の二宮知子さんのクラシックへの思いだが”何百年も前に記された音符が、生まれ育った国も、性別も目の色も、何もかも違うふたり(これは、黒木君とターニャ)に同じ思いを抱かせる。わかり合えないと思っていた人とたった一音でわかり合えたり、惹かれ合ったり。”ここからのだめの言葉として、
「それは千秋先輩とだけじゃなくて、世界中そんなのがいっぱいあるはずだってわかったから、海の向こう岸があると思うと、やっぱり人は漕ぎ出しちゃうんですヨー!今も昔も変わらない。」

 エジプトで初めて会った人に感動を与えていた。世界で音楽でわかり合えることに千秋との関係だけでなく世界のいろんな人に感動を与えることへプロの音楽家としてやっていく。宣言をして「のだめカンタービレ」は終わっていく。

 映画は浅いし省略しすぎて、超えるべき箇所が何度あってもそれを乗り越えて目指すということで終わる。エジプトの話は出てこない。千秋の結婚への決意もない。シュトレーゼマンは超えさせることを狙った親心でコンチェルトをしたということになる。



FC2blog テーマ:のだめカンタービレ - ジャンル:映画

【2010/05/02 10:46】 | 映画
トラックバック(0) |  ]